●口上
今回「GALLERY wks.(ギャラリーワークス)」におきまして展示、上演致しますのは、「地獄極楽」に手を加えた赤嶺版のぞきからくり、周りには新潟県の巻町歴史資料館所蔵の「幽霊の継子いじめ」に創意工夫を加えたものを展示して、縁日風景の再現を試みます。
この度、絵のご依頼を下さいました、「遊びの玉手箱」さんが、日本で現存する数少ないオリジナルののぞきからくりに新潟で出会い、巻町歴史資料館の了承を得て、念願ののぞきからくりを再現する試みに挑戦します。現在、「幽霊の継子いじめ」と「地獄極楽」の2つの演目が上演可能です。
●のぞきからくり(覗き機関)とは..........
のぞきからくりとは、屋台の上に絵看板を掲げ、下の「のぞき穴」から、中を覗くと、箱の中の絵がレンズを通して大きく見えるという仕掛けになっています。
屋台の両端には、しなり棒の様な鞭をもった男女が、その鞭で屋台をたたきながら、拍子を取り、「からくり節」を語った独特の節回しで、次々と絵を見せていくのです。中の絵は一つの物語になっており、6〜8枚の絵で構成されています。
その外題は「幽霊の継子いじめ」や「ホトトギス」、「地獄極楽」等、その当時の3面記事を題材に取ったものが多いようです。
のぞきからくりは、江戸末期に誕生したといわれ、からくり絵の口上を声高に述べるだけでしたが、それでも大変な人気だったといいます。
昭和の始めになっても、祭礼や縁日など、人の集まるところには必ず繰り出して、人気を博しておりましたが、活動写真(映画)の登場や紙芝居の巡回化、後のテレビの普及によって完全に過去の遺物となり、その語りも装置もすべて消え去ろうとしていました。大阪では、住吉に住んでいた黒田さん夫妻が昭和53年、野崎観音で演じたのを最後に演じられなくなったといわれています。
●のぞきからくりの歴史..........
のぞきからくりの源流は古く「絵解き」と呼ばれ、仏の教えや寺の縁起などで掛物に仕立て、それを物語風に解説(説教)するものでした。既に中国では、17世紀後期にこれに類するものがあったと推定されますが、日本では江戸時代(1720年)に西洋から、線遠近画法が伝えられると、浮世絵の仲間として「眼鏡絵や浮絵」と呼ばれるものに発展し「覗き眼鏡」というレンズを通して見るものとなり、一般大衆に鑑賞されるようになりました。
はじめは、「おおのぞき」と呼ばれ、一個の箱に1個のレンズで一枚の絵を見る形式が、後にこの箱を数個並べて順次覗き、一連の物語として構成される仕組みに発展し、江戸後期(1760年代)に改良されて現在の基になったと思われます。やがて、文明開化の波に乗り、大衆娯楽施設の充実と共に、一層の改良が加えられ、ガス灯やカーバイトランプ、更には電灯とその光源の進展に加え、表現技法として華麗な押し絵が施され、立体感を深めるよう工夫され、現在のものとなったのです。
●のぞきからくりの資料..........
新潟県の巻町歴史資料館所蔵のぞきからくり「幽霊の継子いじめ」をご参考までに載せました。

全体像(全長約3m60B)

のぞき穴から箱の中の絵を見る人々。

のぞき穴から見えた絵の一部です。
お後は、展覧会を御覧じろ......................
赤嶺圭吾 |