バナナはおやつに入るのか

藤野竜樹


 遠足に行くときに各自持参するオヤツに金額制限があるのは、今にしてみると、児童の制限を設ける中での合理観念を育てるとか、家庭の経済格差を生まないためだとか、裏の事情があったことに思い至る。そうした金額制限は今でも存在するため、当然次のような疑問が児童の側から呈示されていることが予想される。
「バナナはオヤツに数えるんですか?」
 上記の金額制限は、児童たちが同様に持参していくお弁当には適用されないから、バナナを弁当の一部と見ればオヤツとして持っていくお菓子分への負担が減るということだ。はじめに発想した者はかなり奸智を持ち合わせていると思われるが、今はあまりに使われすぎて、遠足の前の定番、ともすれば、オヤジギャグに成り下がっている感すらあるので、調子に乗って使うときには場の空気を読む注意深さが必要になる。(近年、子供がバナナの皮で滑って転ぶことを懸念し、児童保護のためバナナの遠足持参を躊躇する学校も増えていると聞くが、本当か?)
 かように笑い事で過ぎ去られることの多いこの発言だが、考えてみると納得のいく答えを出していないから普遍的発言になっているわけで、真面目に捉えると意外に難しい問題だったのだということに今更ながらに驚かされる。
 

問い1 何故バナナだけがそういった発言の対象になるのか。
 バナナのアポリアに挑戦するに際し、我々の解析はまずそこからはじめよう。

   理由その1:バナナは他のお菓子とほぼ同等の値段である。
 筆者は本稿を書く資料として、実際バナナ一本がどの位の相場なのかを調べてみた。これによると、輸入物の最安値で一房100から150円くらいから一本で100円以上するものもあったから、大体30~100円といったところか。その昔に憧れ果物の地位にいたバナナも流通革命を経た現在、すっかり庶民派レベルに落ち着いたものだとあらためて感心する。がそれはともかくこうして見ると、確かに他のお菓子と大体同じくらいの値段ということができる。

   理由その2:バナナはかさばらない。
 今問題となっているバナナを別の果物にすると問題の根が浮き彫りにされる。すなわち「メロンはお菓子に入るんですか?」などとあった場合、おそらく100%言下に否定されるだろう。スイカでも大同小異で、何故ならもし持っていったとして、邪魔なことこの上ない。自衛隊の強化合宿ならともかく、今の日本でその手のスパルタ訓練ははやらない。(この場合、「メロンだとぅ!」という、教師側のやっかみから否定される事例が考えられることも否定できない。)

   理由その3:バナナは食べやすい。
 これも別の果物で考えてみよう。「パイナップルはお菓子に入るんですか?」 ...。パインといえば、おそらく果物界のタラバガニと言っても過言ではないほど食べるまでのプロセスが面倒くさい実だ。かさばるわちくちく痛いわ...。まぁパインは極端にしても、例えばリンゴなどでも、ワイルドにしなければ皮をむくというプロセスが結構面倒くさく、皮をむいている間にそれはそれで切れないようにむくことの方に夢中になっちゃったりする本末転倒現象をおこすようなことにもなりかねない。
 それに比べるとバナナのヒューマンインターフェース・食べやすさといったらもう、別役実氏の言葉を借りれば「ほとんど冗談のように食べやすい(たべものづくし より)」レベルであり、手軽という意味ではこれに勝る果物を筆者はほとんど思いつかない。メロンやスイカは、よしんば持っていくことに成功したとしても一人で丸ごとというのはナンセンスな大きさ(それに冷えてなきゃ美味しくないよね)であることを考えると、バナナの量は絶妙と言うほかない。食べられないさっちゃんはやっぱり可哀相で決定だ。

   理由その4:バナナは栄養価がある
 遠足にバナナを持っていくことの優位性を考えるとき、味で選ぶのはもっともだが、栄養価の面から捉えることも重要だ。遠足で歩き回って疲労したとき、バナナの糖分が多く、吸収しやすいという性質は大きな利点だからだ。テニスプレイヤーなどがかぶりついているのと同じ軸線上で選択してよいものだ。

 さて、かように考えると、問い1の答えとしては、(i)安価である,(ii)運びやすい,(iii)手軽である,(iv)栄養価が高い という四つの特徴から、
   存在そのものがオヤツの対象であるスナック菓子に近い
からであるというのが妥当であろう。
 人柄は良いのに顔つきが怖いというだけであらぬ疑いをかけられる気の毒な友人がいるが、バナナとは丁度彼のような存在といえるだろう。
 

 問い2 オヤツと弁当の明確な相違とは何か?
 これもバナナの疑問を解くに不可欠な問題だから、明確にしておこう。
 そもそもオヤツは【御八つ】と称し、旧時制での八つ時に食べることを指している。八つ時とは未(ひつじ)の刻、つまりだいたい今の午後2時頃のこと。だからオヤツとは、そうした正規の時間以外に取る食事ということで、早い話が間食のことだ。(こう考えてみると“三時のオヤツ”とは“三時の二時”という意味であり、“頭痛が痛い”と同じくらいおかしな表現だ。)
 遠足の弁当はこの定義と対置して考えられよう。すなわち日々の三度三度の食事と同様、正規の時間に取る食事であり、日常の食事との違いは食事する場所が日常空間ではないということだ。
 ここに両者の違いが“正統と傍流”にあることは明らかであろう。してみるとオヤツの金額的制限にはこの“オヤツの非正統性”にも根拠を持つことが邪推されまいか。
「ちゃんとした食事ならば仕方が無いが、余分な食事を無制限に許容することなどできない!」
 偉そうな軍人髭を生やした不機嫌顔の校長が、発案者の容疑者にでてきそうである。
 

 さて、上記したような問題を乗り越えたことにより、我々はいよいよバナナの謎を解く準備ができたようだ。
 繰り返しになるが、まずバナナがオヤツか弁当かで迷うのは、前述したようなバナナの持つ被食インターフェースの良さが、どこでも食べることを可能にするからに他ならない。だいたい、バナナがお弁当箱に入っているとして、この時点でのバナナがおかず性質をもっていることに疑いをさしはさむ人間はいまい。バナナが常にこの難問の矢面に立つのはだから、バナナが例えば遠足で歩いている途中にもぐもぐと食べているような場合で、ここにバナナのオヤツ度は一気に高まってしまうのだ。
 ここに注目すべきは、ある食物を弁当のおかずかオヤツかに分ける指標が、“弁当のご飯のおかず”として食べるか、まったく独立に“間食”として食べるかどうかにあるというところだ。我々の求める答えはここにある。つまり、バナナをオヤツと認めるかどうかは、バナナ単体で決められるような問題ではなく、バナナを取り巻く状況、すなわち“バナナを食べるときの付帯状況”によって決定されるものだったのだ。
 「バナナはオヤツに入るのか?」問題はだから、遠足の前の諸注意で先生に質問しても、残念なことにそこで答えの出るような類の問題ではなかったのである。子供の頃この質問をされた先生が頭をかきながら、「いやぁ。」なんて言っていた理由がここに了解していただけたのではなかろうか。

 “現在の状況が突然その目標の正体を過去に遡って決定する”というおかしな現象を、しかし我々は、他の自然現象についても指摘することができる。それは本稿では何回かネタとして利用している...いやいや、真理追究の決定打として利用している、量子論中にみる電子や原子の振る舞い。すなわち、向こうで繋がっている二つのドアに電子を通すとき、どういう通り方をしたかは結果を見たときに決定されるという、シュレディンガーン猫に喩えられる、あの現象である。
 実際、量子論とバナナ問題は共通点がある。対応関係を書き出してみよう。
 

量子論 (1-1)見たら死んでた 猫死亡確定
(1-2)見たら生きてた 猫生存確定
(2) 見ない  猫は生き死にどちらの状態でもある
バナナ (1-1)ご飯と食べる おかずと決定される
(1-2)間食する オヤツと決定される
(2) 食べない オヤツとおかず、どちらの状態でもある

 ここに、バナナが量子力学に則った未決定状態にあることが了解してもらえるだろう。遠足のバナナがオヤツと弁当を事前に決定できないのは、単なる言い回しの問題ではなく物理現象であり、自然界の摂理に沿った不可避な問題だったのだ。
 

 バナナ問題を“決定不能”と答えることで解決した本稿だが、最後にこの解答の中核となったシュレディンガーの猫状態のバナナについてもう少し触れてみよう。
 シュレディンガーのバナナにおける“決定不可能”とは見方をかえれば、猫のそれが“生き死にどちらの状態でもある”ことを踏まえると、“食べられると食べられないどちらの状態でもある”ことを示すものともみなせるであろう。ここに通人が目をつけた。彼らによればそれは、“バナナの美味しい食べ方”の一つの理想形だというのだ。
 なんとなれば、バナナ好きによるバナナの美味しい食べ方とは、いわゆる“腐りかけたギリギリのところを食べる”ことなのはよく言われるところだが、ということは、シュレディンガーのバナナにみる状態はこの“ギリギリ”の最たる状態、チキンレースで言えば命知らずといわれるほどの際どさを保った状態ということなのであり、故にこそ通人をして「一度は食したい味」と言わせしめる根拠になっているのだ。“バナナの美味しさ”が意外なところで最先端物理とかかわりを持っている。その関係を思うと実に興味深いものを感じるではないか。

 バナナを栄養補給食として用いることで有名な女子テニスプレーヤーの青波奈々美嬢は、このシュレディンガーのバナナを食べたことのある数少ない一人だ。シンボルマークのポニーテールを結びながら彼女は言ったものだ。
「あの状態にするにはコツがいるんです。というのは、何らかの目的に限定した瞬間にバナナはその状態を決定してしまいますから。だから例えば試合中、ボールボーイに隙を見はからって不意に口の中に入れてもらうとか、サーブの瞬間、ボールの代わりに投げ上げてみたりとか、なんとかして意表をついて口の中に入れればいいんですよ...。まぁサーブの場合は十中八九近くに皮が捨てっぱなしになるから、あとで転んじゃうんですけどね。てへ。」
 でも美味しいんですと笑顔を見せながら彼女はコートに走っていった。彼女は自身にそんな複雑なことを課しているのに、曲がりなりにも試合になっているのが筆者としては不思議になったものだ。

 と思ったが、バナナだけに“曲がりなり”になるのは当然なのであった。

おわり

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