NORMAN CASTLES

ノルマン人とは

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ノルマン・カースルとは
1.定義
<形態>
2種類ある。土と木で作られたモット・アンド・ベイリー(Motte and Bailey) と呼ばれる形。そして石の城壁と防御施設を持つ形。 それぞれ次の構成要素から成る。
(モット・アンド・ベイリーの場合)
[モット]:プリン型に土を盛り上げた見張り塔兼篭城施設。底辺の直径30〜40メートル、 高さ15メートル程度。周りを濠で囲まれ、頂上に木の櫓を立てる。濠と櫓の周囲 は木の柵で囲む
[ベイリー]:モットに隣接して濠と木の柵で囲まれた居住区。濠には水を張る場合も 張らない場合もある
(石の城の場合)
[城壁]:表面は石やレンガをモルタルと土で固めて立ち上げ、内側に小石と土を詰める
[ゲートハウス]:城内への入り口を備える建物、あるいは入り口両脇の塔
[キープあるいはタワー]:2階建て以上の城内最後の防御施設。2階に入り口を持ち、 多くは城壁に接して建てられる。居住を兼ねるものを特にダンジョン(donjon)と呼ぶ
[ホール]:食事や接客、集会などに使われる大広間。独立した建物の場合とキープ内に 設けられる場合がある。その場合のキープはホール・キープと呼ばれる
[礼拝堂]:必ず城内のどこかに礼拝場所がある。独立した建物の場合の他、キープ やタワーの中に設けられることも多い

<時代と場所>
11世紀初めから13世紀中頃までの間に、フランス北西部ノルマンディー地方、 イングランド、ウェールズそしてアイルランドにかけて作られた。

<製作者>
ノルマン人(911年以降、ノルマンディーに住み着いたデンマーク人、ノルウェー 人達の子孫:10世紀の内に血筋、言語ともフランス人と同化する)、 およびその家臣や血縁者。

2.構造と特徴
2−1.モット・アンド・ベイリー
<モットの種類>
(柵のめぐらし方)
頂上部は必ず柵で囲うが、斜面に柵を植える場合と何もしない場合がある。
斜面にも柵を立てる場合はベイリーの作と連続させて、左右から頂上に伸ばす。
(階段のつけ方)
1.斜面に木の階段を刻むだけ
2.斜面に木の階段を刻み、両脇や頭上を板で覆う
飛び道具に対する防御力が高まる
3.濠の対岸から頂上まで橋を渡す
バイユーのタピストリーに出てくるディナン城がその例。メリットとして
・モットの斜面を急にでき、
・階段を落せばアクセスが困難
など防御力は最も高い

<モットの特徴>
1.材料費が安価
溝を掘った土をそのまま材料として使うし、木は当時いくらでもあった。 石を切り出す必要も無い。
2.特別な技術や道具が要らない
高度な測量は必要なく、農器具や家を建てるのに必要な道具さえあれば良い。 従って征服地の農民や大工を徴用してすぐ築城できる。
3.工期が短い
ベイリーも含めて数週間あれば完成する。

2−2.石の城
<城の大きさ>
カン城の敷地面積は5ヘクタール。300メートル平方の枠内に収まる。
キープの大きさは、底辺が25〜30メートル四方、高さ20〜30メートルが多い。 イギリスのノルマン・カースルは時代が進んだこともあり、これより大型である。 底辺のディメンションの例を挙げると、
アルク城:30X27m、カン城:27X25m、ファレーズ城:26X22m
イギリスでは、コルチェスター(Colchester)城:50X37m、ロンドン塔:39X35m、 ドーヴァー城:32X32m。
キープの壁は基部が最も厚く、上に行くに従い薄くなる。例として、
ファレーズ城:3.5m、カン城:4.4m、ロンドン塔:4.6m、ドーヴァー城:7m。
(写真:アルク城のキープ)

<キープの種類>
平面形で分類すると、
1.square keep(rectangular keep)
平面形が四角形で、11世紀後半から始まり、12世紀には主流になった。
居住性が高い。1086年当時のイングランドに49個を数えた。
(右はイングランドのリッチモンド城)

2.shell keep
平面形が円形、あるいは四辺形以上の多角形。
モットの上の構造物を石化する場合、この形式となる。
屋根が付かないことが多く、内部容積もとれない為、居住性は劣る。
(右はイングランドのリンカーン城)

3.tower keep
平面形はshell keepと同じ円形だが、2階建て以上のフロアを持つ。
横から見ると塔そのものである。居住性はshell keepより向上。
(右はアイルランドのネナーグ城)

<キープの場所>
城壁から完全に孤立して城内の真中にぽつんと建てられることは稀。 殆どの場合、北側が城壁と一体になっている。 こうすれば本丸が日陰にならずに済む。キープの周りに更に濠が掘られることも多い。

<キープの構造>
・各階の使われ方は
1階:武器や生活物資の倉庫
2階:大広間兼食堂、領主の寝室、子供、特に娘の部屋
3階:領主の子供、特に男子の部屋、兵士の詰め所
・入り口は2階にある。1階や3階には階段で行き来する。 階段は壁の中を斜めに走るものや、隅に設けた螺旋状のものがある。
床と屋根は木製。壁には暖炉がある。
トイレは壁を切り欠いてベンチを作り、 壁の中、又は城外に排出する。従って北側に設けられる。消臭の為、常に 香草や香辛料を撒いていた。右の写真はアイルランドのロスクレア城のトイレ

<城壁の構造>
この時代は、古代ローマの様に巨大な石のブロックを積み上げて、城壁やキープを築く ことはまず無い。 一般にはレンガ大の石(きっちりした直方体ではない)をモルタルで 固めながら、2枚の壁を平行して積んでいき、壁の間に小石と土を詰めて 突き固める。建物の壁もこうやって作っていく。 また強度を増す為、基部ほどできるだけ大きな石を使う。
(写真:アイルランド、デュナマズ城)

窓や銃眼(arrow-slit)はきっちりとした直方体の大きなブロックで縁取る。 こうしないとぼろぼろと崩れやすく、攻城兵器の的になってしまう。
(写真:ファレーズ城)

使われる石は基本的には建築現場の近くで調達する。岩盤の上に築かれることが 多いのは、防御に適すばかりでなく石がすぐ採取できることも大きい。

<ノルマン式石城の特徴>
1.巨石を必要としない
15cm大くらいの石でも良く、また石の種類を選ばない
2.キープがホールや居住区域を兼ねる
1つの建物が複数機能を併せ持ち、スペース効率が高い。狭い敷地でもレイアウト可能
ただ欠点として、材質上どうしても衝撃に対し崩れやすく、 攻城兵器に対しては城壁の強度が不足していた。 このころ守りの中心は城壁よりもまだキープに置かれていた。 その思想が最高潮に達したのがアイルランドのフェルン城始めウイリアム・ マーシャルの作ったクワドリ・キープであった。

3.時代と地域による城の発達

<石の城の出現時期>
ノルマンディーにおいて、木と土から石への置き換えはおおむね次の順番だった。
11世紀前半:城壁
11世紀中盤:ゲートハウス
11世紀末から12世紀前半:キープあるいはダンジョン
12世紀後半:コーナータワー、バービカン
カン城の例を見てみよう。
1060年、征服王により石の城壁とゲートハウス
1120年、アンリI世(HenriI Beauclerc)によりダンジョンと城壁のタワー11箇所
13世紀、フィリップII世によりダンジョンを囲む城壁と4本のタワー
14世紀、南と東のバービカン
このように征服王の時代(11世紀後半)には石造りの強固なキープなどまず無かった。
ノルマンディーで最も古い石のキープの例として、1092年に征服王の次男アンリがドムフロン (Domfront)に建てたものがある。 ノルマンディー以外では1031年にアンジュウ伯フルク・ネラ(FoulquesIII Nerra) がロッシュ(Loche)に建てたものが知られている。

4.ノルマン時代の終焉
守りの考えがやがてキープ主体から城壁主体に移っていく。すでに13世紀初頭の アイルランドのリメリック城にはもはやキープは無かった。替わりにゲートタワー とコーナータワーが一段と巨大になった。またこの頃よりバービカンが一般的に なっていく。城壁はより高く厚くなり、大きな加工されたブロック状の石が、 モルタルの接着にあまり頼らずに積み上げられていく。つまり 石自体の重みを生かして強度を確保するように、考えが変わってきた。13世紀中頃には ノルマン人自体の「純血性」がとうに無くなって久しく、かつてノルマン的と 呼ばれた様式や思想も姿を消していた。

5.各地の城跡実例
フランス
イギリス
アイルランド

6.考察
<なぜモットの形態をとったか>
元々少数のノルマン人がフランス、イギリス、アイルランドと進出していく先で 支配を打ち立てるには、すばやい防御施設の構築が不可欠だった。 そしてこれらの地域に共通して 言えるのが、フラットな土地柄だということ。その結果、
(1)身を守る物の少ない平野部で、
(2)手近の材料を利用して、
(3)少数かつ非熟練な人足と日常の道具を使って、
(4)できるだけすばやく、
(5)少人数で効率的に防衛できる
ことを満たす施設を作る必要があった。
それぞれの条件に対応する策として
(1)濠を掘る。柵で囲う
(2)土と木で作る
(3)(4)巨石や金属をできるだけ使わない。構造をシンプルにする
(5)外部からのアクセスを不便にする。施設面積を大きくし過ぎない
等を満たす形態としてモットが考案された。

<モットはどんな場所に作られたか>

<なぜモットとベイリーとセットなのか>
ただ土を盛り固めただけのモットの上には、あまり大きく重い構造物を建てる ことができない。モットの上の櫓は普段あくまで見張り用に過ぎず、 居住、備蓄、宴会の為には別の建物を用意しなければならない。 また馬を囲っておく場所も必要である。従って普段の居住区域となるベイリーが なければ砦として機能しない。もっとも順番としてはまず環濠城砦が先に築かれた であろう。

<モットはどうやって作られたか>
私は以下の手順で作られたと考える
1.直径30〜40メートルの円を描く
2.木のスコップで円に沿って溝を掘っていく。掘った土は中心部に積み上げる
3.積み上げられた土を杵やスコップで固めて円錐形に盛り上げる
4.高さ15メートルほどになったら頂上を平らにならす
5.1つだけ階段をつける
6.頂上に木の櫓を立て、周りを木の作で囲む
7.堀に橋を渡す
8.堀に水を張る。

<変化の理由:なぜ石つくりに変ったか>
極めてコスト・パフォーマンスの高いモット・アンド・ベイリーだったが、 問題も出てきた。
(1)木の建物は火に弱い
(2)モットは長期の篭城には手狭すぎる
(3)ベイリーの防御力不足
そこでまずモットの頂上の見張り塔が石で作り替えられた。ノルマンディーの シャトー・シュル・エプト(Château-sur-Epte)、イギリスのヨーク城に 例が見られる。更に木の柵に替わって石の壁を設けることも、すぐ行われた。 これもイギリスのルウス城やリンカーン城など多くの例がある。 いずれもモットの良さを残した改良であった。しかしそれでも限界は見えていた
何より土盛りの頂上に、これ以上大きな建造物を立てることはできなかった。 そこでモットに頼らない施設の組み合わせに移行していく。 主眼としては、
(1)石を主として施設を作る
(2)外壁の一次防御力を強化する
(3)十分な居住空間や行政機構を維持できる
ことを目指した。そして石の城を実現するには次の要件を満たさねばならない。
(a)長期(数ヶ月から数年)に渡る人足の安定調達
(b)石造りの巨大建築物に精通した熟練工の確保
(c)石の調達先と運搬ルートの安全確保
このうち(a)はノルマン人の支配が確立するにつれ何とかなってきた。 そして(b)にはノルマン式教会建築の技術と経験が役に立った。 また(c)は城壁や建物の建築方法を工夫して巨石を不要とし、手近に取れる石 で十分用途に耐えた。

参照:François Neveux著「La Normandie des ducs aux rois X-XII siè cle」(Ouest-France)


ところでキャッスル?、カースル?
ところで「CASTLE」の発音は、100人中99人が何気なく「キャッスル」 と読んでしまいますね。CAを「キャ」と読むのはアメリカ英語です。イギリス では「カーソル」あるいは「カースル」と読みます。 英和辞書を引いても必ず両方の読みが載っていますが、先に来るのは大抵アメリカ 読みです。当サイトでもイギリスの城を紹介するならイギリス読みで通すべきですが、 「キャッスル」で表記している場合もあります。気付き次第統一しますが、しばらく ご勘弁ください。
ただ我々がEnglishならぬAmericanでもってイギリスの文化財を理解しようと いうのも、無意識であったとしてもあつかましい態度です。 外国語のカタカナ表記自体かなり不自然かつ不完全な行為ですが、できるだけ 気を配りたいものです。 今後も同様の点に留意していきますが、不備な点は容赦なくご指摘ください。
(発音についてロンドン憶良氏よりご意見いただきました)

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