戦うヴィシー空軍3

出来事の推移
フランスがドイツに敗れたのを見た日本はさっそく仏領インドシナに 圧力をかけ始め、同年8月30日の 東京条約で日本軍のトンキン湾通過 をフランスに認めさせた。そして9月22日ハノイでの 日仏軍事協定により、 ベトナム北部の飛行場4ヶ所の使用許可を得た。ところがその日の夜、日本軍は ランソンから侵入してフランス軍の前哨基地を攻撃し (ランソン事件)、26日には トンキン湾のドーソン島を占領してしまう。 この情勢を見たタイは10月より国境付近で威嚇を繰り返し、11月末には サヴァナケット始めラオスの都市を白昼堂々と爆撃した。
年明けになると日本は紛争の仲介に乗り出し、翌年5月9日に東京で不平等な平和条約が結ばれ、 タイはメコン河西岸の土地を獲得した。
東南アジア情勢と並行して、アフリカ大陸では11月に仏領ガボンの主要都市 が自由フランス軍の手に落ち、ヴィシー政府の帝国領土は世界各地であらゆる 敵の脅威にさらされていた。

インドシナの空軍戦力
フランスがインドシナに展開する航空兵力は極めて弱体だった。
戦闘機はMS406が17機、爆撃機はF221が4機とPotez542が6機。偵察機は Potez25TOEが60機、他に海軍の飛行艇ロワール130が10機程度で、 合計100機弱 である。しかし数より補給体制の方がより深刻で、弾薬や交換部品がなかなか 本国から届かず、モラーヌの20mm機関砲は使用できなかった。

アメリカからの買い付け計画
インドシナ総督のデクー海軍提督から要請を受けたプラトン植民地相は、 アメリカから双発戦闘機20機と双発爆撃機32機を購入すべく使節を派遣した。 これはもちろんドイツから待ったがかかり、実現しなかった。
(注): 仏英間はメル・ゼル・ケビル事件以来国交が断絶していたが、仏米間 の外交関係は正常であった。

最初で最後の日仏航空戦
極めて限定的ながら、日本とフランスは航空戦を展開した。
9月23日:Potez25が日本機5機に撃墜される
9月24日:Potez25と護衛のMS406編隊が日本戦闘機(機種不明)と遭遇。 双方被害なし
9月25日:護衛のMS406(1機)が日本戦闘機と交戦中にPotez25が撃墜される
結局、フランス側はPotez25を2機 失っただけで戦闘は終った。(右図はPotez25TOE)

タイの野望
タイはかねてよりメコン河西岸の土地を要求しており、7月12日に仏領インドシナ と相互不可侵条約を結んでいたものの、ランソン事件以降のフランスの弱腰 を見て攻撃に転じた。タイ陸軍は常備兵力6万人のほかに30万人の動員が可能 であり、総数5万(うちフランス人12,000)のインドシナ軍とは人的ポテンシャル に差があった。

タイ空軍の実態
タイの空軍は 総数250機とフランスの2.5倍だったが その内訳はスパッドVII、ハインケルHe43、ブリストル・ブルドッグなどの 寄せ集めの複葉機が大半を占めていた。唯一近代的と言えたのが、カーチス・ ホークII(H-75の廉価版で固定脚)で、質の面ではフランスといい勝負だった。

フランスとタイの航空戦の実態
両空軍の間では大規模な空戦はほとんど無かった。フランス爆撃機はもっぱら 夜間に出撃し、日中の航空活動の大部分は地上部隊支援の偵察であった。
モラーヌ・ソルニエは空戦で2機の戦果を挙げ、 2機のMS406と1機のF.221が空襲で失われてた。タイ空軍は空中と地上合わせて 20機程度の損失を認めている。つまり航空戦の分野では フランス空軍が優勢 であった。
問題はやはり補給整備体制で、部品不足から故障が続発し、 稼働率はとうとう 50% を下回るようになった。

日本の介入
日本軍はタイに軍事顧問を駐在させたばかりか直接戦闘に加わり、 Potez25数機が日本海軍の水上戦闘機に撃墜されている。日本の狙いは仏領 インドシナの徹底した弱体化であり、タイの軍事行動も日本がけしかけたような ものだった。結局、頃合を見計らって日本が和平交渉の音頭をとり、実質タイ の勝利を認める条約を東京で調印させた。これによりタイはメコン河右岸の ラオス領とバタンバン地方を手に入れた。


アフリカ情勢:ガボン陥落
1940年10月21日より自由フランス軍がガボンへの攻勢を開始、11月10日に 首都のリーブルヴィルが陥落した。 このときフランス人同士が初めて空で戦った。

10月21日:自由フランスのPotez25TOEがヴィシー軍上空からビラを撒く。 その後爆弾も投下
10月25日:ヴィシー空軍のグレン・マーチンM167F爆撃機が自由フランスのPotez25zTOEを攻撃、被害なし
10月30日:ヴィシー空軍のM167Fが自由フランスの対空砲火 で撃墜される
11月 6日:ヴィシー空軍のM167Fが自由フランスのライサンダー偵察機 を撃墜
つまり双方1機ずつを失っている。これ以降、フランス人同士の空中戦は極力 避けられるようになった。
また海では、ヴィシー海軍の通報艦ブーゲンヴィルと自由フランスのサヴォルニャン ・ド・ブラザが交戦し、ブーゲンヴィルが沈んだ。他にヴィシー海軍の 潜水艦ポンスレはイギリス海軍に拿捕される前に艦長と共に自沈した。


こうして休戦から半年の間にフランスは各地で戦果を交え、2個所(メル・ゼル・ケビル とダカール)の防衛に成功し、逆に2地域(インドシナとガボン)で敗北した。

次ページ

フランス空軍史 目次

ご意見をお聞かせください mfumio@sky.sannet.ne.jp