出来事の推移
フランス陸軍の戦車部隊を率いていたド・ゴールは、
6月17日にロンドンへ逃れて自由フランス
を組織し、ドイツとの徹底抗戦を
叫んでいた。彼は8月末までにチャド、コンゴ、カメルーンなどの
仏領赤道アフリカを味方につけ、更に
自由フランスの本格活動拠点として仏領西アフリカの寝返りを狙っていたが、
ダカールの総督府は彼の呼びかけを拒否。
9月24日、これを受けてイギリス海軍は海と空からダカールを攻撃、自由
フランスと共同で上陸を目論んだ("脅威"作戦)。
しかしヴィシー政府軍の抵抗は激しく、翌日には作戦は中止された。
これに対しフランスは、24日と25日にジブラルタルを報復爆撃した。また浮上した空軍不要論
8月の間イギリス海軍に目立った動きはなく、その脅威を前提とした
フランス空軍の再軍備は根拠が薄くなった。特にフランスの海外領土の弱体化
を願うイタリアは、当初の予定通りにフランス空軍解体を強く求めた。
なぜダカールがターゲットなのか
ド・ゴールにしてみれば自前の領土獲得の他に、現地の銀行にある
金塊700トンも重要な目標物であった。
他方イギリスにすればダカール湾に潜む戦艦
リシュリューを初めとしたフランス艦隊
が、いつか大西洋の脅威となる可能性もなくは無かったし、何より
Uボート基地として使われることは防いでおきたかった。
ただ北アフリカ戦略(=リビアのイタリア対策)上で見れば、地理的にはそれほど
重要な地域ではなかった。
開戦までの経緯
<ド・ゴールのオリジナルプラン>
セネガル総督府はヴィシー政府に忠実であり頑強な抵抗が予想されたから、
南方のギニアから陸路を通り各地で自由フランスへの巻き込みを図りながら、
徐々にダカールを目指す作戦が立てられた。その間イギリス艦隊に海上封鎖してもらうのである。
彼は7月末にこの案をチャーチルに示し、8月6日に了解をもらった。
<イギリス海軍の反発>
しかしイギリス海軍は、長期間ダカール沖に艦隊を張り付ける余裕はないと反対した。
そこで海からの一斉上陸作戦へと変更された。
<ヴィシー政府の対応>
7月7日にイギリス雷撃機がリシュリューを攻撃していた(被害なし)。更に8月に
赤道アフリカが続々とド・ゴールの軍門に下った為、次はダカールが攻撃目標
となることは読めていた。もしダカールまでとられたら、
仏領北アフリカへの独伊の監視の目は一層厳しくなる。そこで
カーチス・ホーク19機をアルジェリアから派遣し、防空態勢を固めた。
(それまで現地の戦闘機隊にはドボワチンD501(右図)が6機しかなかった!)
<開戦前夜>
イギリス艦隊の陣容は、空母アーク・ロイヤルを筆頭に戦艦2隻、巡洋艦5隻、駆逐艦10隻、
掃海艇大小5隻で、11隻の兵員輸送船には上陸要員として自由フランス軍2,400名と
イギリス軍4,270名が乗り込んだ。この艦隊はシエラレオネのフリータウン港に集結した後
ダカールを目指した。
ダカール戦の実態 フランスがジブラルタルを報復目標に選んだ理由 ジブラルタル爆撃の成績(フランス空軍vsフランス海軍)
イギリス海軍機はソードフィッシュ雷撃機とスクア艦爆が攻撃の柱だった。
フランス戦闘機隊は9月23-25日にかけてイギリス機を5機撃墜しH-75を1機失った。
イギリスの発表した損失は、ソードフィッシュ8機とスクア2機だった。
(左:フェアリー・ソードフィッシュ)
またフランス爆撃機は合計6トンの爆弾をイギリス艦隊に向け投下したが、
巡洋艦(カンバーランドか?)に1発命中しただけで、大した損害は与えられ
なかった。両軍とも航空戦に関しては低調だったといえる。
フランス海軍の損害は潜水艦2隻が沈没、駆逐艦1隻大破、戦艦リシュリューの
損害は軽微だった。
イギリス海軍は戦艦と巡洋艦が1隻ずつ大破した。
(==>両軍艦隊の陣容と損害)
またダカール港では守備隊100名のほか、民間人84人も犠牲になった。
2日間に渡ったイギリス艦隊の艦砲射撃は激しかったが、ヴィシー軍の抵抗強し
とみるや9月25日の午後には早くも撤退を命じた。
2年後のディエップ上陸作戦の失態を予感させるような、中途半端な幕切れで
あった。
仮に上陸を強硬しても、まともな艦上戦闘機をもたない当時のイギリス海軍
では制空権を確保できず、被害は大きかったであろう。
・北アフリカから近く(往復500km以内)護衛戦闘機も随伴できる。
・敵戦闘機による迎撃の可能性が低い。
・ドイツ、イタリアの主戦場とは違うので、戦争協力とはとられない。
つまり実際の戦略的効果よりも、最小のリスクで爆撃機隊の存在意義を
アピールすることが重要だった。
左にジブラルタル爆撃での命中精度を示す。
明らかに海軍機の方が優秀である。
(ただし何をもって命中とするのか基準があいまいなので、
絶対値よりも空軍と海軍の違いに注目して欲しい。)
1)機種の違い
海軍のグレン・マーチンに比べ空軍のLeO451は操縦がデリケートで、乗員も訓練不足であった
2)反英感情と士気の差
海軍将兵は同僚をメル・ゼル・ケビルで多数イギリスに殺されている。
対して空軍には反英への具体的動機づけが乏しかった。
フランス爆撃機の損害は対空砲火でLeO451が1機撃墜されたのみであった。
なおこの爆撃でジブラルタルでは死者44名が出ている。
ド・ゴールとは何者か
ドイツとの戦争が始まったとき第4戦車師団を指揮していたド・ゴール大佐は、
1930年代初めから既に戦車戦の研究を行い、フランス陸軍の機械化を訴えていた。
また彼は軍事研究の優れた著作を多数残し、文武両道に優れた将校であった。
グデーリアンの装甲軍団が海をめざして進撃してきたとき、彼はそれを側面
から突こうと奮闘した。だがもはや一人の知将の力だけではどうにも
ならなかった。
1940年6月5日、将軍への昇進に次いでレイノー首相から国防次官に抜擢され、
イギリスの援助を得るべくロンドンとの間を飛び回った。
ところが6月16日にはレイノーが辞任し、代わってドイツとの休戦を第一に掲げる
ペタン内閣の発足に伴い、もはやこれまでとみたド・ゴールは翌日ロンドンへ
亡命した。
そして18日、有名なBBCのラジオ演説を通じて、フランス人にドイツへの徹底
抗戦を呼びかけたのである。
==>演説の内容
7月28日、チャーチル首相はド・ゴールを自由フランスの代表として承認した。