出来事の推移
1940年7月3日、サマヴィル提督率いるイギリス艦隊が、アルジェリアの
メル・ゼル・ケビル
湾内のフランス艦隊を砲撃
(カタパルト作戦)、フランス海軍に
1,267名の死者が出た。
フランスもこれに対し戦闘機を派遣、更に翌日
ジブラルタルのイギリス海軍基地を爆撃した。この事件によりフランスは
昨日の友イギリスと外交を断絶した。
フランス帝国は死なず
1940年6月25日時点のフランスの領土
ドイツとの休戦後もフランスは依然として広大な海外領土(委任統治領含む)
を保有し、帝国の面目を保っていた。
イギリスはドイツと単独講和したフランスを既に信用していなかった。
もしフランスの海外領土がドイツの軍事拠点として使われたら、あるいは
手付かずのフランス海軍がドイツと共同作戦をとったら、地中海と大西洋
の覇権も枢軸国に握られてしまう...それはイギリスにとって最悪の
シナリオであった。
フランス空軍は生き残れるか
7月1日から始まった休戦委員会で、フランスは治安維持という名目で1,060機
の作戦機と3万名の要員配置を提案した。しかしドイツは民間航路の復活では
譲歩したものの、空軍の再武装化は受け入れなかった。このままでは空軍は
消滅してしまう。存続の為には何か大義名分が必要なのだ。
メル・ゼル・ケビル事件での各国の思惑
そんな状況で降って湧いた事件だったが、当事者の意図と受け止め方には
差があった。
<イギリス>
チャーチルは休戦直後の6月27日には既に、フランス海軍の無力化計画を検討
させていた。全く無傷のフランス海軍力をドイツに利用されることだけは、
何としても避けねばならなかった。
<フランス>
実はフランス軍の指導者達は最初から戦いを臨んでいたふしがある。
7月3日11時30分にサマヴィルがメル・ゼル・ケビルのフランス
艦隊に突きつけた最後通牒は次のようなものであった。
(a)イギリス海軍と共に独伊との戦争を継続する
(b)イギリスの港に艦艇を集め、イギリスの監視下に置く
(既に大小200隻がイギリスに亡命していた)
(c)仏領西インド諸島(アンティル)又は武装解除の上アメリカ
合衆国に向かう
(d)以上のどの選択肢も受け入れられなければ6時間以内に自沈すべし
(e)さもなければフランス艦隊が独伊の手に渡らないよう、イギリスは必要
な武力を行使する
アルジェリアから本国の仏独休戦委員会に連絡が回るまで
4時間が経ち、タイムリミットまで残り2時間であった。ところがドイツ側
代表に対しての説明はこう変わっていた:
「実は海戦が起こりフランス側に大きな被害が出ています...(海軍が武装解除されて
いるので)我々には防ぐ手立てがありません。ドイツも何もできないでしょう。
このような事件が将来繰り返されない為にも、とるべき方法があるはずです。」
つまり休戦条項で禁止されている空軍力行使の許可を求めているのだ。
サマヴィルの示した条件など跡形もなく、既に戦闘が始まったことに
なっている。これでは「ぜひイギリスと戦わせてください!」と願い出て
いるようなものだった。
<ドイツ>
空軍の使用についてはすぐに許可が降りた。更に
ヒトラーがフランスの態度に満足していることが、翌日フランスへ
伝えられた。だが同時に
「地中海でイギリス海軍の攻撃に備え地中海沿岸
を防衛する為に、ドイツ空軍が非占領地帯(フランス南部)の飛行場
を使うことについて、フランス政府はどうお考えだろうか」
と付け加えてきた。ここにドイツの本音が見える。
ドイツはフランスが軍備を強化し、共にイギリスと戦う図式など期待しては
いなかった。ただ基地や労働力の提供という形でドイツの戦争に「
協力」してもらいたいだけなのである。
空軍は本気で戦ったのか?メル・ゼル・ケビル航空戦の実態 ドイツとの交渉:フランス空軍復活!
7月3日から10日にかけ、H-75はのべ180回出撃
してイギリス艦載機ブラックバーン・スクアを迎え撃った。相手は時速400km
も出ない艦爆で、しかも護衛なしである。なのに戦果はたったの
2機なのだ。
(右上:ブラックバーン・スクア、右下:H-75)
この時、フランス人パイロット達の胸中には複雑な感情が渦巻いていたであろう。
1.空軍復活の願い
「これは外からの脅威に対抗する為の空軍力の必要性を示す絶好の機会だ」
2.ドイツ嫌い
「イギリスと戦線布告してまでドイツと戦争協力の道を歩むのはまっぴらだ」
3.イギリス嫌い
「目の前で多くのフランス人がイギリス軍に殺された...」
「フランスの戦いではすぐ撤退したくせに...」
彼らがイギリス機の背後についたとき、引き金を引くことをためらったとしても
不思議ではない。
だが空軍首脳部はもっと現実派だった。ジブラルタルに爆撃機を差し向け(損害は
与えられなかったが)、防空戦闘機のみならず反撃用爆撃機の必要性を
ドイツにアピールした。空軍復活の為ならなんでもするのだ。
フランスは開催中だった休戦委員会でイギリスの脅威を訴え、防衛に必要な
航空戦力の配備を願い出た。
ドイツはその見返りとし、てカサブランカ周辺に
ドイツ空軍向けの基地を提供するよう提案してきた。紛れも無い戦争協力への
第一歩である。
だがフランス政府は賢明にもこれを拒否して粘り強く交渉し、遂に8月5日(イタリアとは
8月7日)、空軍部隊の実戦配備を認めさせた。
(左は認可された各地の配備数。海軍機含む)
イギリスの脅威に直接さらされる北アフリカへは
特に手厚い配備が許された。そこならドイツの監視の目も届きに
くいから、フランスとしても好都合だった。
こうして合計
900機もの戦力を復活させる目途がつき、休戦から13日目にして
空軍消失という最悪の事態からは脱したように思えた。
(注:その他本土には予備として戦闘2個飛行隊の52機が控える)