休戦までの舞台裏
フランスの戦いが始まる前の1940年3月28日、フランス首相レイノーはイギリス
との間でお互いドイツと単独講和はしないと約束していた。従って6月に戦況が
絶望的となっても、ドイツと休戦交渉に入るなど問題外だった。
レイノー戦争継続の為にいくつかの道を探っていた。
(a)ブルターニュ半島での篭城
大西洋に突き出たブルターニュ半島全体を巨大な要塞とし、あくまで徹底抗戦する。
(b)北アフリカへの政府移転
例えフランス本土で軍事的に降伏しても政府を北アフリカに移しドイツと講和はしない。
片やイギリスの防衛が心配になってきたチャーチルは
大陸での敗北を認識し、イギリスがこれ以上力を貸せないことを釈明する
かのごとく、6月13日に「フランス艦隊がドイツの手に渡らなければ、フランス
がドイツと休戦しても構わない」と伝えてきた。
こんな中、イギリスからの援助を要請する為、ロンドンに送り込まれていたド・ゴール
将軍から大胆な提案が飛び込んできた。
(c)フランスと大英帝国を合体させる
これは実際のところフランスがコモンウェルスの一員となることを意味した。
レイノーは乗り気だったが閣僚達は大反対し審議すらされなかった。
またブルターニュ半島要塞化案は、戦略的に無理があるとして退けられた。
そしてウェイガン(フランス軍総大将)は軍人としてのプライドから、「軍は降伏、政府は
北アフリカへ」という案に反対した。彼は6月12日に政府に対し、ドイツ
と休戦すべきだと提案した。彼もいつかは軍の復興を願っていたが、ド・ゴールとは相容れなかった。
(そればかりか彼が国防大臣を務める休戦後の軍事法廷において、
ド・ゴールに死刑を宣告することになる。)
6月16日、疲れきったレイノーはとうとう内閣を総辞職した。共和国大統領ルブラン
は第一次大戦の英雄ペタンを新首相に任命し、ペタンはさっそくスペインの
アメリカ大使館経由でドイツと休戦交渉に入った。
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