出来事の推移マダガスカルが狙われた理由
日仏がインドシナで軍事協定を結んだ為、
フランスがマダガスカル島を、日本海軍の潜水艦補給基地として提供する
恐れが出てきた。これはイギリスのインド洋安全確保にとって大きな脅威となる。
マダガスカルの航空戦
航空兵力は最初から話にならない差があった;
・フランス空軍:MS406とPotez63.11合わせて
22機程度。爆撃機なし。他はPotez25など
・イギリス海軍:グラマン・マートレット、フルマー、シーハリケーン、
ソードフィッシュ、アルバコア合わせて
86機
戦闘開始から4ヶ月後、フランス側にはMS406が4機とPotez63.11が3機残るのみで、
事実上壊滅した。
連合軍は空母11隻に344機の艦載機が参加した。対するフランス軍はアルジェリア
とモロッコに380機、チュニジアに80機を配備していた。戦闘顛末
戦闘は実質2日目で決着した。フランス陸軍は早々と武器を棄てたが、空軍
と海軍は最後まで激しく抵抗した。特に海軍の被害は甚大で、死者は1,000名
を数え12隻が沈没、その他の艦艇も大損害を受けた。
また空軍は寿命の過ぎたD520とH-75でF4Fやシーファイアに立ち向かい、それ
なりの戦果(29機)を挙げたが犠牲も大きく、空軍全体で44名が死亡した。
何より保有機の大半を地上で撃破もしくは捕獲され、ほとんど反撃らしいこと
もできずに戦闘力を失ったのである。
ドイツ空軍と共闘か?
連合軍上陸後すぐ、仏独空軍が共同で
連合軍に立ち向かう案が検討された。フランスは北アフリカの軍事行動では
イニシアチブを握っておきたかったのだ。
しかしフランス本土からの増援は認められず、結局ドイツ軍はチュニジアの
飛行場を独占しフランス機は撤退させられた。もはやドイツはフランスの力
など完全に当てにしていなかった。14日に上陸したチュニジアのドイツ軍が
降伏するのはこれから半年後である。
生かされなかった教訓
フランス空軍はまたもや地上で壊滅したのであった。
第一線配備400機少々と後方任務(連絡、訓練他)用300機合わせて700機強
の保有機の内
3分の2を失い、その殆どは空襲又は基地を占領されることで失われた。
例えば11月9日は空戦で5機が撃墜される傍ら、空襲で47機を失っている。
(ところで占領した飛行場でカーチス・ホークを見つけたアメリカ兵の心境は
いかがなものだったろうか)
フランス空軍は2年半前のフランスの戦い以降、各地で様々な戦闘を経験し、
装備の不利を克服してよく戦ってきた。だが空襲をみすみす許す体質だけは最後
まで変わらず、敵(ドイツも連合軍も)に楽をさせてしまった。
空軍消滅後の空の守り
新しい組織は1943年3月27日に発足した。
その役割は鉄道防衛の対空砲部隊、ドイツ民間機の為の航空管制と気象観測、
空襲に対する早期警戒と火災消化であった。
これら全ての活動や通信
はドイツ軍の厳密な監視下に置かれた。彼らはこのような窮屈な体制をフランス解放
まで1年半に渡って続けてゆくのである。
=>組織図