フランスの戦い1

出来事の推移
1940年5月10日、ドイツ軍はベネルクス3国に侵攻し、西方電撃戦が始まった。 5月15日にはアルデンヌの森を抜けたドイツ装甲師団が、セダンからフランス に侵入した。フランスが誇るマジノ要塞(仏独国境)は北から迂回されたのだ。 ドイツ軍の先鋒は同月20日には早くも英仏海峡に達したが、連合軍はドイツ軍が 24日に進撃を止めた(ヒトラーがイギリスとの和睦を期待して命じた)隙に ダンケルクへ集結し、6月4日までに英仏軍合わせて30万人がイギリスへ撤退した。

両空軍の布陣と戦力
1940年5月10日開戦直前の両陣営の第一線航空戦力を比較してみよう。

*故障、部品不備等で出撃不可能なもの、訓練用、予備戦力は除いてある。
*フランスは本土配備、イギリスは大陸に派遣した機数、 ドイツは西部戦線に展開した機数。
*フランス、ドイツとも海軍機を含む。オランダの内訳は不明。

左のグラフから ドイツ空軍の戦力は連合国の2倍弱なのが分かる。
また機種構成を見ると、
1.フランスの爆撃機戦力が相対的に弱い
2.両陣営とも偵察機の数に差は無い =空からの情報収集能力に差はないはず
3.ドイツは輸送力にも力を入れている (空挺部隊のグライダーも含む)
ことが分かる。連合国の輸送部隊の規模は残念ながら不明(ドイツより少ないと思われる)。
フランスとイギリスの戦闘機を合わせるとドイツの 60%だが、爆撃機となると 33%である。 しかもフランス爆撃機の4割は旧式機(アミオ143やブロック210) であり、昼間の出撃をこなせる戦力はドイツの4分の1程度であった。
(ちなみにフランスが全世界に保有する軍用機は4,800機で、ドイツ軍の全保有 機数とあまり違いは無い。もっともフランスが海外に保有する機の大半は 旧式機である。)

ドイツ軍を止められなかったフランス地上攻撃機隊
フランス空軍も地上攻撃専用機を2個飛行隊(定数26機)に配備していた。
ブレゲーBr693 襲撃機
エンジン:ノームローヌ14M6/7(700馬力)2基、最高速度:480km/h
武装:20mmX1+7.5mmX3、旋回機銃:7.5mmX1、搭載爆弾:50kgX8

海軍は独自に急降下爆撃機を開発させ、更にアメリカからも購入して それぞれ2個飛行隊に配備していた。
ロワール・ニューポールLN411 急降下爆撃機
エンジン:イスパノスイザ12Xcrs(690馬力)、最高速度:380km/h
武装:20mmX1+7.5mmX2、搭載爆弾:225kgX1
ヴォートV-156F(アメリカ製) 急降下爆撃機
エンジン:プラットアンドホイットニーR-1535(825馬力)、最高速度:390km/h
武装:7.5mmX2、旋回機銃:7.5mmX1、搭載爆弾:225kgX2
海軍の2機種は本来艦上機だが、フランス海軍の空母が旧式なベアルン (1927年就航)1隻のみだった為、結局全て陸上基地で運用された。
一方ドイツ軍はスツーカを360機(上記3機種の3倍)も配備していた。
ユンカースJu87B 急降下爆撃機
ユンカース・ユモ211(1100馬力)、最高速度:380km/h
武装:7.92mmX2、旋回機銃:7.92mmX1、搭載爆弾:500kgX1+50kgX2
ただスペックを見る限りスツーカの方が特に高性能とは言えないのが分かる。


Br693(Br691含む)は休戦までに新たに3個飛行隊が投入され、 最終的に戦闘で56機(31機は対空砲火)、事故で9機を失った。
LN411(LN401含む)は19日に2個飛行隊の全勢力で攻撃をかけ、半数を 対空砲火で失った。 なお内1機はスツーカと間違えられて友軍の対空砲で撃墜されている。
V-156Fは5月10日にドイツ軍の空襲で1個飛行隊12機が全滅し、残り1個飛行隊 も20日の出撃で半数を失い、英仏海峡に迫るドイツ軍を止める力にはならなかった。 6月10日からは対イタリア用に地中海へ回された。

損害の増えた原因として対空砲火が熾烈だったことはもちろんだが、 ドイツ軍は地上部隊の上空に常に直協機(ヘンシェルHs126)を巡回させており、 フランス攻撃機の「奇襲」はかなり手前からばれていた。 またフランス側の原因として、
1.機体の防弾装備が不十分
2.Br693の場合、超低空水平銃爆撃という戦法により 対空砲火に身をさらす時間が長い
3.海軍機の場合、実際には「緩降下」爆撃しか行って おらず、やはり被弾を許す時間が長い
が挙げられる。逆に言えば地上攻撃機として成功するには、十分な防弾装備と 速力、更にアウトレンジから攻撃できるロケット弾や大口径砲が 必要になってくる。これらを備え、真に地上部隊の脅威となる機体が登場する のは、各国とも大戦中期からである。
(ドイツのスツーカが活躍できた背景には、フランス軍の貧弱な対空砲火 と早期警戒網の欠如があった。)
こうして攻撃機の消耗が続いた為、6月5日からはMS406までも地上攻撃に投入 せざるを得なくなった。
更に雷撃用の水上機ラテコエール298までも、5月23日から6月10日まで28回 の地上攻撃をこなし、幸いなことに損害は「わずか」5機で済んでいる。
ラテコエール298: 3人乗り、最高速度290km/h、700kg魚雷又は500kg爆弾X1搭載

イギリスは何をしていたか
イギリスは以下の戦力を主にベルギーに展開していた。

・戦闘機:ホーカー・ハリケーン108機 (虎の子のスピットファイアはイギリス本国に温存されていた)
・爆撃機:ブリストル・ブレニム32機、フェアリー・バトル128機
・偵察機:ウェストランド・ライサンダーとブレニム148機
イギリスは最初の7日間で実に260機近くを失っている。ハリケーンではBf109 に対して部が悪いことがこの時点で明らかになった。 そして5月20日には戦闘機と爆撃機合わせて160機ほどに戦力が縮小してしまう。 6月8日には併せて200機近くに増強され、本国からも同数が作戦に参加したものの 損失はすさまじく、結局 休戦までに1,000機以上を失う (4分の1がハリケーン)ことになる。 また後半より本国からの夜間爆撃を始め、 休戦までに合計3,968トンを投下する。この量はフランス爆撃隊の 2倍以上だが、ドイツ軍の進撃阻止には効果がなかった。

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