教育トピックス

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★通知表(12/31) 

 この教育トピックス、結構読まれているようです。あまり更新する余裕がないんですけど、責任持って書かないといけませんね。
 さて、まず本題の前に↓のFA制度について。実はとんでもないものらしいです。教員の協調性を欠くなど・・・。先輩先生方が言っていました。京都にも先生友だちがいますので、もうちょっとしっかり聞いて、改めて考えたいと思います。

 通知表ですが・・・。私も当然この仕事するわけですけど、いやな仕事の一つです。うちの学校は、1年生を除いて、観点別の3段階評価。「たいへんよい」「よい」「もう少し」のどれかに○印がつくわけです。いつもう〜〜〜むと悩ませてくれます。ああ、この通知表見て怒られたりしないかなとか、結構考えるものです。
 最近困っているのは、「よい」で充分学習内容の把握はできているというのに、「たいへんよい」のトップ評価でないと満足してくれないということ。特に子どもよりも親の方がその傾向が強いです。こちらもいい加減につけているわけではありません。学年できちんと話し合い、ある基準を越えていれば「たいへんよい」をつけるのです。ただ、これについて親から文句を言われることが珍しくなくなってきました。
 本来、通知表は誉める材料として使われてほしいものです。だけど、A評価でないと満足いかないと言うのなら、ほとんど子どもたちは誉められることがなくなってしまうかも知れません。私は3段階評価ではなく、2段階、つまり「できている」「まだ不充分」のどちらかに印がつくでいいと思うのです。このことについては、うちの学校でさんざん議論され、結局上の決断で3段階になったのですが、こういう実態になることは予想され、不安を持っていましたが、まさにその通りに。と言っても、もう遅いです。親は子どものちょっとの欠点も許さないのでしょうか?「よい」ばかりでは誉めないのでしょうか?叱る材料にしか使わないのでしょうか?だったら、通知表そのものをなくしたいです。面談はちゃんとしているのだし・・・。
 こちらもプロですから、なぜA評価じゃないか、説明もちゃんとできるようにしてあります。でも、その対策として、例えば作文を保管しておいて、説明を求められたときにそれを用いるなど、本来は即返却評価されるべきものがそうでなくなるなどの弊害も出ています。「100%じゃなきゃダメだ!」の考えは怖いです。どこかで子どもたちは壁にぶつかるのだから・・・。
 ちなみに、私は甘い評価をどちらかと言えばしているようです。でも、ちゃんと基準守っているし、おまけもしていません。で、担任かわって、その先生が厳しかったりすると、私に文句が来ます。あるいは、中学に進学したあと、小学校との評価の違いに親は驚くそうで。でも、そもそも小中違うのだから・・・。それと、中学は高校受験を控えているから、親もそんなに学校に文句を言わなくなるとか?だとしたら、ちょっとひどいぞ。

★教員のFA制度(11/13)

 なんだかいつもこのページは批判的なことが多くなってしまいがちなので、たまにはそうでもなさそうなものを・・・。
 先日の新聞で読んだのですが、京都では教員のFA制度が導入される見通しのようです。詳しいことまでは書いてありませんでしたが、この制度を使える教員というのは、@経験が10年以上の教員であること、A現任校に3年在籍していること、この2点を満たしていれば、FA宣言ができると言うこと。要するに、自分はこんないいところをもっている教員だということをアピールする。そして、そういう教員がほしいという校長は獲得に名乗り出る。複数の校長(学校)から獲得希望がでた場合は、その教員がその中から勤務する学校を選べるというものらしいです。
 もっともっと細かいことを知らないと何とも言えないところもあり、いいところも悪いところもありそうな気がしますが、私自身はどちらかというといい方向にとらえたいなと思っています。というのは、現状では我々教員は完全に駒扱いされていて、異動は多少の地域希望がきかれるだけ(もっともそれ自体もちょっとあやしくなってきたのですが)です。それなのに、文部科学省の方は、上意下達を強めようとしているのか、校長の人事構想によって我々の異動を行うことになってきました。
 それを考えると、今回の京都の考え方は、教員自身の希望、しかも自分がもっている能力をアピールして行きたいところへ行くという、今までにない教員の立場に立った異動のシステムだと思うからです。どの先生だって、自分を高めていい教育をしていこうと頑張っているはず。そして、いい管理職の下、認めてもらえる校長のもとで働き、子どもたちのために尽くそうとしているはずでずです。それを考えると、なかなかいいアイディアだと思うのですが・・・。正しいと思うことができないという教育界にだけはなってもらいたくないので、この制度もおかしな方向へいかないことを祈りながら、動向を見ていきたいと思います。

★おい!文部科学省!!(11/1)

 いくらなんでも、ちょっと最近落ち着きなさすぎませんか?来年度から、現行の指導要領が手直しされ、歯止め規定がなくなるそうです。学力低下論議を気にして、ちょこちょこ変えていく文科省の姿勢にははっきり言って腹が立ちます。もっとも、新しくなった学習指導要領だって、長年じっくり見当してきて完成してきたもののはず。それを、こうもあっさり変えていくなんて。不信感をもたざるをえません。それでいて、総合的な学習の時間についての教育的効果が薄いようだから、現場は指導計画を見直せですって。自分たちが具体的プランをまったく示さないから、現場は混乱の中やっていて時間も全然ないというのに、現場のせいにしようってわけですか。学校行事の削減もあまりするなですって。じゃあ、いつ勉強しろというのですか?もうあきれてものが言えません。  

★大阪・池田小事件(8/28)

 あの、悲しすぎる事件・・・。この「教育トピックス」は、ちょっとおもたい話が多いのが残念ですが、今日判決が出たのを機会に書いておきたいと思います。
 あの日、私は6年生の移動教室に付き添っていました。帰校すると同時に、同僚の先生から伝え聞き、耳を疑いました・・・。TVも番組を変更して現場を・・・。もう悲しいを通り越して、倒れそうになってしまいました。 当時、私は2年生の担任。亡くなった子たちと同じ歳。もし、私だったら・・・・。どう動けたか想像なんてできません。池田小の先生達の気持ちを思うと、本当に心がいたたまれます。亡くなった子たちの保護者の皆さんも・・・・。
 ただ・・・・。ここでこういうことを書くのは不謹慎かも知れませんが・・・。
 よく、あの後、なぜ門を閉めていなかったのだ、なぜ安全を確認しなかったのだとだいぶ学校はたたかれました。しかし、当時は学校の閉鎖性が批判されていた時代。門を閉めたりしていたら、それこそなぜだと言われたのではないかと思います。学校は要塞になることを要望されていたわけではないのです。そして、2年南組の担任の先生は、犯人とすれ違ったときに声をかけなかったことを今でも後悔されているとのこと。それはそうでしょう。でも、あの時代、「どちら様ですか?」なんて聞ける人の方がものすごく少なかったろうと思います。絶対に保護者、もしくは業者の方だと考え、ましてやそんな疑いの声をかけるなんて、失礼極まりないと受け取られても仕方なかったはずです。
 あれ以来、校門は開いている時間が極端に減り、来校者に対しても必要以上に敏感にならざるをえない時代となりました。それだけ学校関係者にとって大きな出来事。なぜこんなことがよりも、再びこのようなことがないよう祈るばかりです。
 (書いていて気持ちが重くなってきたので、ここまでにします)

★30人学級(4/29)

 最近、新聞に載っていましたが、ひと学級の人数が少なければ少ないほど、学級が荒れる割合が減っているそうです。そりゃあ、当たり前の話で、先生の目が行き届きやすいからですよね。
 ようやく国もこの問題には軟化の姿勢らしく、40人という枠にはこだわらないようになってきました。でも、その分の予算は各自治体が出せだなんて・・。裕福なところしかそれは実現できないのかなあ?私のある学年は、40人×4クラスになっています。そう、きっかり40人学級。あと一人でも春休みに転入してくれば、32〜33人ですんだのに。こういうところに融通が利かないのが困ってしまいます。ものかけも足りないくらいですもの・・・。いいことにはお金をかけてほしいものです。

★民間人校長(3/30)

 先日、広島で活躍されていた民間出身の校長先生が自殺されました。自分には力がなかったと・・・。とても残念なことです。
 私は民間からということを極端には拒みませんが、そう簡単にできるものではないと思っています。それは校長でも教頭でも一般教員でも、民間からいきなりというのはたやすいことではないと考えます。企業のような競争社会でもないし、良い考えと思っても現実にやるとなるといろんな要因で無理となってしまうことが多く、それはある程度現場を経験した人でないとわからないと思うのです。学級担任をしている先生達だって戸惑います。これからは先生達も評価され、給料や人事で差別化されていくのに、その判断を下す人がこの世界を知っていない人となると・・。
 今回亡くなられた先生は、たった2日間しか研修を受けなかったとのこと。教頭も二人も病気休職になってしまっている事実から、いろいろな教育に関することがわからず、それがあちこちに波及してしまったのかもしれません。
 教育委員会側は最大限の援助をしたと言っていますが、果たして実際はどうなのでしょうか?文部科学省はこれからもどんどん民間人校長を増やすと言っていますが、その矢先の出来事。困っているのではないでしょうか?
 私は民間の方には、休み時間とか放課後とか、我々の休息休憩時間に子どもたちを見ていただくような形も一つのアイディアではないかと思っています。中学では部活もいいでしょう。ただ、それには事故等の責任問題も絡んできてしまうのですね。様々なことがいろんな考えを窮屈にしまっているということでしょうか?

★不登校(2/22)

 難しい問題です。いろんな学校に対する受け止め方ってあるから、一概に否定もできないなって思っています。そんな中、そういう子たちのために通信教育みたいな形をつくって、卒業なども出きるようにするという記事をついこの前見かけました。
 私も2年目の時に1年生で不登校の子が出ました。その時は保護者も子どもの意志を尊重という感じだったので、まったく学校に戻ってくるという方向にはならなかったです。その保護者は「いつかはそういう学校になじめず、登校できない子たちも認めてもらえる世間にしていきたい」と言っていました。
 しかし、私はそう簡単にそういう世の中になるとはどうしても思えないのです。大人の社会ってとっても厳しい。そういう中で、学校程度(この表現適切かな?)の社会を乗りこえられなかった人が果たして生き抜いていけるのだろうか?って考えちゃうのです。叱られることもいっぱいあるし、つきあいの難しい大人だっています。そういう苦難なことや人間関係の大変さから逃避していていいのかな?なんの成長があるのかな?って・・・。
 昨夏、新聞の投書に「自分は不登校だったけど、単に当時自分がいろんな苦労しなくてはいけないことから逃げていただけなんじゃないだろうか?とても後悔している。」とあって、う〜んと思いました。入社即やめてしまう若い人も増えてきているというのも、このことに関連して気になることです。確かに学校は楽しいところでありたいけれど、生きているんならそういう楽しいことばかりではないのだから・・・。

★日教組教研集会(1/26)

 ちなみに私は組合員ではありません。でも、こういう記事はよく読むようにしています。昨日の夕刊に集会の一部のことが載っていました。とってもいいなあと思ったのは、午前中に5校時目までしかない日は午前中で終わらせてしまうようにしている先生の実践紹介でした。確かにこうすると、午前は子どもたちは学習し、午後はそれぞれの時間に。また、我々教師も午後に学級事務や教材研究に当てることができるのです。本当は土曜なんてあってもいいから、オール午前授業にするといいなって思っているので・・・。中には「午前中に多くの授業をこなすのは大変」という反論もあったようですが、集中力がなくなっている午後に授業を多く入れるのも疑問に感じます。
 しかし、こういう実践、簡単にはできないと思うのに、よくやっているなあ。私がもしやったら、あちこちから反発の声がとんできそうなものなのに。地域的なものがあるのでしょうか?いずれにしても、子どもたちのためにいろいろなことを考えている先生達の声を聞くと、こちらも頑張らなければと思えました。

★小中一貫教育(1/7)

 確かに現在、小学校と中学校ではがらりと環境がかわる印象が、我々教師よりも子どもたちの方が感じるようです。やたら個性重視された小学校から、そうはするも高校受験という現実が目の前にやってくる中学校へいけばいろいろと厳しくもなるでしょう。
 ということからか、文部科学省は自治体によっては例えば小学校6年間の課程を5年生までに行い、残り4年間で中学の内容をというようにしてもいいという方向性を打ち出したようです。
 どうも最近、文部科学省はどっしり落ち着いていないような感じがします。この小中一貫にしても、悪いことではないとは思うんですが、冷静に考えれば学校によってバラバラということになることが明白。転校生とかどうするの??そういう細かいことを考えず、なにか新しいことを打ち出さないとと焦っている姿が見え隠れします。
 日本テレビ、「ズームインSUPER!」の中で、よみうりテレビ解説委員辛坊治郎さんは、「ここ数年、文部科学省は動くたびに教育は悪い方向へ行ってしまうから、じっとしていろと言いたくなる」と痛烈な発言をされていました。

★ 学力低下(1/4)

 やたら騒ぎになっていますよね。教科書で教える内容が3割減ったからとか、土曜が休みになったからとか・・・。
 私は、根本は「個性重視のはき違え」だと思います。10年前、「個性をいかすようにしよう」ということがずいぶんうたわれました。それが、「子どもたちが好きなことを好きなようにやるのがいいことなんだ」というように展開されてしまったのではないかと。我々先生側も、「指導」より「支援」だと言われてきました。
 しかし・・・・。世の中には、いやだなあと思うことでも、やらなくてはいけないことって結構あると考えるのです。好きなことをしてばかりのために、いやなこと&苦手なことへ取り組んでいく力そのものや、耐久力というものがなくなったことが大きいと私は考えています。やっぱり、詰め込み都下になる場面があっても、教えるところは教えていかないと、個性そのものを生かすこと自体ですらできなくなってしまうと思うのです。
 若い人の失業率が増えているとよく言われていますね。あれ、こんなはずじゃなかったですぐあきらめてしまう。。。それは以上のことから来ているのではないかと考えます。ちょっと本題とずれた感もありますが、きっと学力のことと無縁ではない気がするのです。

★ 教員の評価制度(1/2)

 これ、世間はかなりいいものと思っているんでしょう。企業などはとにかく成績によって給料があがる。それはある意味当然かも知れません。社内でもこうして競争していかないと、その会社そのものが伸びなくなる。年俸制に給料がなっていくというのもわかる気がします。
 このような制度が教員の世界でも導入されようとしています。正確には、もう東京都では「人事考課制度」という名前でもう始まっています。

   さて、果たしてこの制度、教員の世界にはふさわしいのでしょうか??

 年功序列ではなく、いい人材にいっぱい給料を上げるべきだということ。ちょっとはわかります。しかし、問題点も多々あると思うのです。

 @どんな先生がいい先生なのか?順番がつけられるものか?
   授業がよくわかる先生、子どもたちととにかくおしゃべりしてくれる先生、いっぱい遊んでくれる先生・・・・これらの上下って人それぞれで評価が変わってきませんか?はたまた、挙げたようなことは全くなくても、校長や教育委員会のいいなりになる先生も良い先生と認定されるようなことだって、今の制度では充分あり得るのです。

 A外部評価は適正に行われるか?
   保護者や地域、さらには子どもたちからの先生に対する評価によって、先生の給与や人事に影響されるというもの。これもどうでしょう?最近の保護者は自分勝手な人も増えてきました。自分の子が先生に叱られると、「うちの子が傷つきました」とどなりこんでくる親も実際います。子どもの中にも、「あの先生、いたずら見逃してくれるから良い先生だ」というケースもあります。こんな調子で我々が評価されていくとなると、親や子どもの顔色をうかがいながら教育活動を進めていかなくてはならないといったことが充分考えられるのです。

 だいぶ前、「サラリーマン教師」と批判された時代がありました。しかし、どうもこのところは、サラリーマンスタイルに徹しろという制度がどんどん送り込まれているような気がしてならないのです。自分の思い・信念によって授業を・・・といっていたら、苦しみもがくだけになっていく気がしてなりません。

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