File129 宇多田VS倉木論 第三部〜それぞれの道A〜アメリカ音楽のキーワード


前回の予告どおり今回は宇多田のアメリカ戦略に関し、項目を設け、その項目ごとに分析を行っていく。従来以上に管理人の私論的要素がかなり強いですが、まあ一つの考えとして、頭の奥の奥の片隅にでもとどめて頂けたらと思う。また、前回とは違い今回は批判性を抑えてあり、どちらかというと状況分析に重きを置いているので、宇多田のファンの方にも読んでいただけるのではないだろうか。

@作風・音楽性
今作に対する批判として「日本的要素・東洋的要素がない」(このことに関しては前回を読んでください)と並びよくあるのが、「アメリカの時流に即していない」がある。果たしてどうなのだろうか。
アメリカの音楽はもちろん多種多様のものがある。しかし、向こうで人気があり、日本でも認知度が高く人気のあるものとして、強引ではあるが、総じてマライア、ケリ・ークラークソン、セリーヌ・デュオン、ホイットニー・ヒューストンといった「王道ポップス系」、ブリトニーやビヨンセ、マドンナ、ジャネットのような「ダンス系」、エヴァネッセンス、アブリル、アシュリー・シンプソン、アナ・ジョンソンのような「ロック・ラウドロック系」、ノラ・ジョーンズ、レイチェル・ヤマガタ、ダイアナ・クラルのような「カントリーロック系・ジャズ系」の4つに分類されるのではないだろうか。そう考えたとき、デジタルポップの色合いが強く、時折東洋的なフレーズが挿入される宇多田の曲らは、この人気筋の分類のどれにも当てはまらない。ただし、当てはまらないからといってそれが問題であるかというと、なかなか簡単にはいえないところがあるのではないだろうか。
アメリカ人気筋の音楽に合わすのは、ある意味たやすい。しかし、同じ土俵で勝負した場合、埋没してしまう可能性が高くなる。さらにそれ以上に、既に伝統ともいえる蓄積があるこの手の音楽において、如何に天才宇多田といえどのし上がっていくのは容易ではない。よって主流とは違う音楽性をやったことはよかったと思う。
ただ、どっちの音楽性にしろ、総じて「勝てば官軍」的要素が強いのは否めない。売れなければ叩かれ売れれば絶賛される、ただそれだけである。だから私は音楽性のことをそれほど言及する気はない。言及すべきは曲の完成度である。

A作詞
今回かなりきわどい歌詞が注目されている(アジアの女性がアメリカ人男性と寝たがっている的表現があることから、「アジア人に対する蔑視」と批判されてもいるが・・・)。そのことに対し「向こうでも新鮮に聞こえるのではないだろうか」的言がある。これはどうだろか。
個人的にこのことに関しかなり懐疑的である。これが日本なら、かなり注目されるのは間違いないだろう。遠まわし的な表現ならともかく、直接的な表現でこういったものを表現したメジャーアーティストは、日本では殆どといっていいほどいない。だが、男女問わず際どい歌詞の曲が多いアメリカでは、これはさして目立つ要素とはいいがたい。

B歌唱
一連の宇多田批判の中でも結構多いのが歌唱であろう。「アメリカでは通用しない」「所詮日本レベル」という批判が随所で見受けられる。歌唱技術に関しては、この批判は的を得ているといえる。アメリカ音楽に対し否定的な私でも、アメリカアーティストの歌の上手さは大したものだと思う。ただし、過去の他事争論やこのサイトのいたるところで述べているが、曲の魅力は「歌唱技術」で決まるものではない。得てして洋楽信仰に陥っているものはこのことを見逃しがちである。そういった観点に立ったとき、宇多田の歌唱は世界に通用するものだと私は思っている。ただし、それは過去3作までの話であり、全米デビューアルバムに関してはその限りではない。レビューにも書いてあるが、編曲のまずさや電子音が目立つことにより、歌唱が埋没していることと、さらに歌メロの強引なつくりが、自身の歌唱の魅力を削いでいるように感じることとがあるからである。

C容姿
日本でもアメリカでも、好むと好まざる関係なしに、音楽的技量と並び「外見的魅力」も問われてるのは厳然たる事実であろう。日本はそれでも、自作自演アーティストを中心に時折外見的魅力を有していないアーティストが売れることもあるが(具体的名前はださない)、アメリカから日本に送り出されるアーティストで、「不細工」なアーティストを見たことがない。この項目に関して、日本よりアメリカの方が寛容さに欠けるといえるのではないだろうか。今アメリカの外見的人気筋は、概ね以下のようになる。

@伝統的お色気路線
これは非常にわかりやすい。マドンナやブリトニー、ビヨンセなどがそれにあたる。総じてダンス系に多い。ティーンエイジャーの子を持つお父さんお母さんから露骨に嫌な顔をされる典型的タイプ。鍛えに鍛えた抜群のスタイルの体の殆どを露出させ、露骨に性的なものを押しだす(男女差別とかジェンダーに対しかなり厳しくなってきている風潮はあるものの、エンターテイメントの世界ではまだまだこういったものが好まれる傾向にある。)。アメリカでは最もメジャーな路線であろう。日本ではあまりない。

A伝統的おしとやか路線
ノラ・ジョーンズがこれに該当しよう。伝統的お色気路線とは違い、それほど肌を露出せずに比較的カジュアルな装いかドレスのようなフォーマルな装いが多い。言動も行動も比較的大人しめであり、良家のお嬢様という感じがする。お堅い頭の大人たちや上層階級からは好まれるタイプ。特に最近ブッシュ政権のもと、保守路線まっしぐらのアメリカでは重宝されている。

Bスモール(ないしはスレンダー)・エネルギッシュ・キュート路線
今のアメリカにおいて伝統的お色気路線に匹敵する一つの大きな路線となっているのがこれ。アブリルやアシュリー・シンプソン、ヒラリー・ダフ、エイミー・リーなどがこの路線の代表格である。共通するのは、アメリカ人としては比較的小柄で肉感的要素がなく、美人というよりはかわいい系統であり、元気いっぱいの魅力を感じること。最近日本でも急速に支持を広めてきている。

前振りが長くなったが、宇多田はどうだろうか。系統でいうと、Bが一番近いのではないだろうか。
宇多田の外見がどうかといわれると、かなり微妙なものがある。それなりに魅力的ではあると思うのだが、あくまでそれは一般レベルの域を出ないように思う。デビュー当時は年齢と実力が話題になったことからも、宇多田が外見的魅力をもって売り出したわけではないのは、恐らく間違いないだろう。にも関わらず、宇多田ならびに宇多田サイドは一つここで致命的なミスを犯したように思う。それは「Easy Breeze」のプロモである。
私は外見がよい場合は結構そのことについて述べるが、その逆に関して述べるのはあまり好きではない。しかし、このプロモの問題を考えるにあたって、どうしてもそのことを述べなければならないので、あえて執拗に記していく。そういうのがダメな方はこっから先読まれない方がいいだろう。

既にご周知であろうが、この曲のプロモ、宇多田の水着姿からの始まり外人男性とのキス寸前までの絡みなどを考えると、ほぼお色気路線といっても間違いないだろう。これが日本であるのなら、「あの宇多田が水着に!!」というだけで、ものすごく話題にしてもらえることは必死。しかし、全米デビューという要素を考えるとき、私にとってこのプロモは「単にこっけいなもの」としか思えなかった。
日本人女性のスタイルはここ10年で飛躍的に良くなってきている。グラビアでも、昔は「Cカップ」で話題になったのに、今では「D以上が当たり前、HやIもある」という状況になっている。一般レベルでいうのなら、西欧人と日本人のスタイルの差は殆どないといってもいいだろう。だが、それはあくまで一般レベルである。エンターテイメントの最前線においては、まだまだ差がある。互いの国の一線級アーティストを比較すればそれは一目瞭然(ビヨンセなどを見れば明らか)である。ましてや宇多田は格別優れたスタイルではない。さらに、今の体型がどうかはわからないが、とんねるずの番組や任天堂のCMを見る限りにおいて、お世辞でも「細いとはいえない」こともある。太る要因は生活習慣から心的なものまで様々なものがあるので、なかなか難しいものがある。しかし、世界一の肥満国であり、一方その反動からステータスのある人に対する肥満にかなり厳しいアメリカにおいて、明らかにマイナスの要素になるのは、疑問の余地がないだろう。これは、体質的に体重の増減が激しいブリトニーが太るたびにかなり叩かれていることを見ても明らか。
にも関わらず、アメリカ人アーティストの最も得意とするお色気プロモで望んだのは明らかに失敗であると考える。このプロモでの格好に関し、本人が望んだのか回りがさせたのか定かではない。しかし、一つ確実にいえるのは「数ある選択肢の中で最もやってはいけないことをやってしまった」ということである。
宇多田が今までの日本のプロモのように、どちからというと映像美やアイデアで勝負したものか、最悪本人を写しただけのものであれば、ここまで執拗に外見のことをいったりはしなかった。全米デビューの一件に関し、アルバムの出来の次に不満や疑問があるのはこのことである。
今後もアメリカで活動するかどうかはわからないが、音楽性以上に早急に改善せねばならないのは、プロモならびに外見に絡む販売戦略であろう。

次回は総合的なアメリカ戦略に関し記していく。





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