File128 宇多田VS倉木論 第三部〜それぞれの道@


かつては当たり前のように比較されてきた二人(というよりは、一方的に持ち上げられ、倉木側が叩かれるケースが多かったが)。それぞれが送り出した3rdアルバムで、もはや比較して「あれこれ」いうこと事態がおかしいと思えるくらいに音楽性に相違が出たといえる。よって、さすがに3作目以降、とにかく何が何でもこの2人を結び付けたい輩は、当然の如く減少の一途を辿る。
そして4作目。両作共に共通していえるのは、「それぞれが新たな道を模索し、より音楽的な幅を広げたこと」ではないだろうか。
今回からの「宇多田VS倉木論第3部」で、両アーティストの4thアルバムについて考えていく。ただ、最初にお断りを。本来は先に発売された倉木の4thを取り上げるのが筋ですが、あえて宇多田の4thを先に行う。時事的な要素を考慮して、というのがその理由ですがご了承下さい。そして、もう一つ。宇多田4thに関し、今まで以上に厳しい評価をしているので、熱心な宇多田ファンの方、また批判を一切受け付けない方などはご覧になられない方がいいでしょう。

宇多田ヒカル。日本の音楽史を考える上で、最強のアーティストといってもいいだろう。圧倒的なメロディーセンスと扇情的な歌唱、それらがもたらす曲の勢いは、圧倒的以外の何者でもない。「今日本の女性アーティストで世界相手に戦うことのできるアーティスト」は、と聞かれたら、私はやはり宇多田の名を最初に挙げる。これは今も昔も変わりなく持ち続けている考えである。だが、今回の4thアルバム「Exodus」の出来に関してはというと、ファンの方には申し訳ないが、「過去最低の駄作」というのが、ここ3週ぐらい聞き続けた上で出した結論である。今作の主な問題は、

@1曲1曲の印象が殆ど残らず、全体としても散漫な印象を感じ、作品を通して何をしたいかが判然としない。
Aデジタル音が前面にでている&ぺらぺらな音作りばかりが目立つ編曲により、作品に緊張感や迫力がない。
B高音部分をはじめ、歌唱にかつてのような伸びやかさがなく、聞き手を引き込む魅力に欠けている。
C曲数が多い


にあると考えている。さらに、音楽的な問題だけではなく、アメリカの音楽文化に対する考え方の甘さ、この作品がアメリカで受けるのかどうかの判断の甘さ、事前の準備の甘さなど、戦略や作品作りに対する問題も多々ある。問題を総論的につづっていく前に、少しこの作品に対する雑論的なものを示す。

正直私は今のアメリカの音楽シーンに対し、殆ど評価していないし、興味もない。たまに出てくる人気アーティストや有力アーティストなどはチェックしているものの、その殆どが、付される宣伝文句や業界からの評価、売上にかけ離れたへぼさばかりを認識させられるだけ。「EZテレビ」の宇多田特集で、アメリカの音楽関係者が言っていたが、アメリカの音楽文化の閉鎖的な体質や、個性的・先進的と多くの日本人が抱きがちなイメージからは程遠い、同じこと繰り返しのマンネリ体質があるといえる。そしてさらに大枚とおじての販売戦略や、MTVや販売ショップなどをひっくるめたありようも、アメリカの音楽を非常につまらないものにしている。(詳細は、他事争論File43・44で)。野球やバスケ以上に排外的で差別的な要素が強い音楽業界で、東洋人が同じフィールドで支持されるとは到底思えないのだが、そんなこと関係なしに、アメリカの音楽業界で成功しようとそうでなかろうと、はっきりいってどうでもいい。低レベルなアメリカ音楽業界で受けたからといってそれが作品の質を示すわけでもない。昔ならいざ知らず、今のアメリカのヒットチャートに音楽的な質や個性を求めるのは、至極無理がある。私が求めるのは作品の完成度と魅力だけ。その求めるものに、アメリカの音楽界は答えてはくれない。

話がそれたが、とにもかくにもこの作品の問題は、@にあるように、作品としての散漫さばかり目立ち、何を目指しているのかがわからないことと、個々の曲の完成度が低く、印象が薄いことにある。そしてそれは、作品通しての宇多田ならではの要素というものを感じ取れないことにも直結している。向こうの音楽性にあわそうと無理したあまり自己を見失ってしまったことと、一方で合わそうとすることに対する自分自身の反発心が影響したと考える。最初に持ち込んだ曲が、向こうの関係者にダメだしばかり喰らって、かなり深刻に悩みこんだといった話もあったようだが、この辺のところはアメリカの音楽業界に対する甘い認識があったように思う。結局のところ、完全な意味で向こうの音楽に迎合したものでも、もちろん日本でリリースした作品で見せた音楽でもなく、だからといっても、格別芯の通った何かがあるわけでもない何とも中途半端な音楽を生み出しただけではないだろうか。
ただし、この作品に対する批判として多々見受けられる、「日本的な要素がない」「東洋的な要素が出ていない」といった類のものは、個人的には賛同できないところがある。
確かに既にアメリカでも活動しているRIN’のように、とことん日本的な要素を押し出せば、ある程度の支持を得ることはたやすいと思う。ただし、それは所詮、「ハラキリ、フジヤマ、ゲイシャ、サムライ」といったような、偏見や差別、下世話な興味に基づいたものに他ならない(もちろん全部とはいわないが)。本質的な評価とは程遠いものであろう。おそらく向こうにはそういった要望はあるだろうが、だからといってそんな要望を満足させてやることはないと考える。だから、一部の例外はあるにしろ、総じて和的・日本的な要素を出さない作品で勝負しようとしたところは、曲の出来不出来・好き嫌いとは関係なく評価できる点である。ただし、問題は、そうであってもその土台となる曲の出来がいただけなかったことであるが・・・。

A・Bに関しては、ごちゃ混ぜにして記していく。
この作品、極論すると、宇多田ならではのテンションの高さと勢いを感じ取れる2曲目と、東洋的な雰囲気を押し出した宇多田の扇情的な歌唱が冴える3曲目で完結してしまっている。他の曲は聞き続けられない。耳障りでぺらぺらな電子音と高音部分の聞き苦しい歌唱が目立つ駄曲「The Workout」以降、何回も聞いてみたが、どうしても駄目だった。このことは、6曲目以降における打ち込みサウンドと歌唱の単調さが影響している。
特に編曲のへぼさは最悪だ。確かに向こうならではのグルーブ感らしきものは出ているし、シンセの使用の仕方にも上手さを感じ取ることが出来る。ただし今回編曲を担当した人物は、向こうでは大物らしいのだが、申し訳ないが、所詮は向こうのへっぽこな音楽を作りに貢献している一員に過ぎないな、としか思うところがない。4・6・7・11曲目の電子音は酷く似通っているし、数少ない良曲である3曲目などに見受けられる東洋的な編曲も、ただ旋律を取り入れただけ的軽薄さばかりが目立つ。シンセを減らし、部分によっては生楽器を入れたりの工夫をした方が良かったのではないだろうか。このことは、販売戦略もかねているのであろうが、向こうの人間を安易に使用してしまったことが生み出した深刻な弊害・問題のように思う。少なくとも編曲が河野圭とかであったとしたら、ここまで単調でぺらぺらの編曲を聞かされることはなかっただろう。さらに宇多田の歌唱にも問題がある。11曲目をはじめ、どうも高音に伸びがないし、聞き苦しい。これは結局のところ自分の声質や歌唱を活かすような曲作りができていないことにあると思うが、聞いている限りにおいては、歌唱力そのものも衰えてしまったと感じるところがある。また、厚みのある電子サウンドの中に歌唱が埋没してしまっているのも、よろしくない。この3つの要素が、かつての名曲「Colors」「For you」「Can't you keep a Secret?」のような、宇多田の醍醐味た歌唱の魅力を感じなくさせているのではないだろうか。
そしてC。得てして洋楽作品のダメな点は、曲主のパターンが少なく、さらに歌い手のくどい声質とかがあるにも関わらず、曲数が多すぎることにある。持論としては、曲数が多ければ多いほどダレてしまうことから、理想の曲数は9〜11・12曲程度と考えている(ガーネットクロウはその点実にいい)。で、今作の14曲はやはり多い。これでも曲がよければいいのだが・・・。後半のダレ具合は、個人的にあんまりであり、この作品を通して聞き続けられない大きな理由になっている。

まあ、文句ばかりいっても仕方ないし、非難するのも簡単なので、だったらどうすればよかったかについて私見を述べる。
個人的には、日本人製作人のもと、2ndでアルバムのような洋楽王道的ポップスの要素と、3rdアルバム「SAKURAドロップス」「光」のような和的要素を織り交ぜた作品を目指した方がよかったのではないだろうか。オール英詞なのは仕方ない。だが、あくまで向こうの音楽のもので、という考えがあったにしろ、曲調だけはもう少し何とかしてほしかったように思う。発売1ヶ月過ぎて売上がまだ100万に達していないのには、発売前に多々流された風評もあるのだろうが、作品の出来不出来以前に日本の音楽ファンの思考を甘く見ていたから、というのがあろう。向こうの音楽性に染まるのでも、日本的な要素を前面に押し出すといったことではなく、あくまで自分が過去に築き上げてきた作品の延長上のもので勝負してほしかったように思う。まあ、この辺のことに関しては、人それぞれに様々な考えがあるのだろうが。

次回は、作品に対する個人的な評価とは距離をおき、宇多田のアメリカ戦略に関して考えていく。





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