File114 宇多田VS倉木論 第2部F


倉木の、歌い手としての魅力は、幅広い曲種を遜色なく歌うことの出来る柔軟性、多様性にある。また、生まれもってのその資質に溺れることなく、たゆまない努力により日々成長を見せているのも、倉木麻衣というアーティストを語る上ではずすことの出来ない魅力であろう。しかし、この倉木の魅力・資質の高さこそが、今後の倉木を考えていく上でアキレス腱になる危険性がある。その危険性とは、倉木の資質や成長に、曲を作る側の方がついていけなくなるのでは、ということである。

倉木は、圧倒的な歌唱技術を見せ付けたり、超個性的な声質や歌いまわしを身上とした歌い手ではない。どちらかというと、脅威の柔軟性多様性によって、曲の色に染まるということが、倉木の歌い手としての特色である。実はこのことに大きな罠が潜んでいる。
特徴的な声質や歌いまわしを有している歌い手に曲を提供する場合、その魅力を生かした曲作りさえしていれば、絶大な支持を得ることはなくても、その筋のものが好きな人に安定して支持されるという強みを持つことが出来る。曲の作る側としては、それを後にどう発展させていくかの問題は残るが、それさえ除けば、ある意味非常にやりやすい仕事といえるだろう。元ちとせ、竹井詩織里、林明日香などなどがその路線に当たるのではないだろうか。
また、これと被る要素もあるが、歌い手が圧倒的な技量をもっている場合も同様であろう。どんな曲種の曲を与えても、とにかく高い技術でごまかせる要素が多々あるからだ。但し、以前に述べたように、歌い手と曲のレベルとのバランスの欠如を生み出すという問題があるのだが・・・。倖田來未とかLyricoとかがこれに当たると思う。同時に、これらアーティストは既に完成されすぎていて、今後の成長・発展の余地があまりないことも、曲の作り手の負担を軽減させる要素になっているのではないだろうか。
しかし、何度も述べているが、倉木はこれらの事例には当てはまらないし、そのことこそが彼女の魅力である。だが・・・

私の音楽哲学でもあるが、歌い手の魅力は、楽曲の完成度や魅力に立脚していなければ発揮されることはないと考えている。また歌い手と曲の相性が良くなくてはならない。どんなに上手くて魅力があっても、歌う曲が駄曲であれば、または歌い手と曲との相性が悪ければ、その魅力や技術はフルに生かすことが出来ない。それは単なる歌だけが突出したカラオケである。このことからは、業界屈指の多様さと柔軟性を有する倉木であっても、逃れることはできない。倉木の歌い手としての魅力も、良曲の存在なくして成立することはありえないのである。
就職や受験の時の面接や作文の題材、何らかのスピーチのテーマでもいい。または、料理勝負の内容でもいい。恐らくこれら事柄において、一番困るのは、「なんでもいい」「好きにしていい」であろう。つまりは「自由」である。これは「両親について話してください」とか、「牛肉を使った煮物料理にしてください」というように、あらかじめ何を題材にするのか、何が課題とするのかが分かっているときよりも、ずっと難しいといえる。だからこそ、同時にそれをこなす人物の真の力量が分かるというものであろう。実は倉木の問題は、この「自由さ」にあるといえる。倉木はどんな曲種でも器用に歌いこなすことが出来るし、そう出来るように常に努力し続ける。しかし、そのことが、曲の作り手にとって、いったいどのような曲をつくることこそが、倉木の魅力を引き出す最たるものになるのか、ということの分かりにくさを構築しているのではないだろうか。よって、自分が今まで培ってきた思想や技量といったものとモロにつき合わさせられることになる。そこできちんとした曲を確実に送り出すことの出来る作曲家であればいい。だが、前々回で述べたように、製作陣営の人材枯渇、並びにそれによってかかる大野と徳永の負担増加という深刻な問題をGIZAは露呈している。
倉木の多様性や柔軟性、声質のよさを存分にいかすことのできる「良曲」があってこそ、倉木の魅力は魅力足りえることができる。だが、今のGIZAの戦略や大野をところかまわずこき使っている状況を見ると、不安を感じずにはいられない。倉木の成長振りに曲の作り手側や社がついていけているのかと。
一番やってはいけないのは、歌い手の資質に頼った安易な曲作りである。「倉木は歌い手としての優れた資質がある」「既に地位が確立している」「ファンからの支持も強い」。だから、多少手を抜いてもいいだろうという甘えがGIZAや製作者側にないだろうか。現に作曲者に関しても、販売戦略に関しても、GIZAのトップの売上を誇る倉木にふさわしい扱いであるとは、思えない。同じGIZAの三枝夕夏の扱い振りと比べても、それは歴然としている。新たな新人を売っていくのも大事だけれど、それら新人を売り出すことが出来るのも、GIZA初期の段階で絶大な売上をかせぎ、今なおGIZAで一番売れている倉木がいるからであろう。トップであり、すばらしい魅力をもっているからこそ、それにふさわしいものを与えねばならないのに、本末転倒の状況であるといえる。4thアルバムや最新シングル曲には、残念ながらそういった要素を少なからず感じてしまった。こうなってしまうと、島谷や中島と同様歌い手の成長を望める状況ではなくなる。歌い手の能力・魅力への妥協や依存が、アーティストとしての目的意識や向上心とは無縁のものばかりが生産されていくという状況を、生み出してしまうことになるだろう。そこにおいては、アーティストを育て、その資質を伸ばすというよりも、その資質の都合の良い利用に過ぎなくなり、もはや名作名盤など望めない。
今の倉木は、ここまでの状況にはなってはいない。しかし、販売戦略や人材の枯渇という厳然たる問題を見ていると、「やばい雰囲気がつくられているな」と感じずにはいられない。今のGIZAの衰退の要因のひとつに、高い実力を有し、それによって良曲を安定して供給しているガーネットクロウや小松未歩の強さに反し、それ以外の、特に非作曲アーティストの弱さがある。それは=曲の弱さである。すべては曲あっての歌であり、戦略である。この基本であり、絶対の真理をGIZAは忘れている。GIZAやGIZAのアーティストに必要なのは、新人アーティストではなく、大野のように優れた実力をもつ作曲者である。今後それができなければ、弱小中小企業に似合わないアーティストの多さによってGIZAは自滅することだろう。自力で曲を作っていけそうな小松やガーネットクロウ以外は、総じて消え去ってしまう羽目になるだろう。GIZAには倉木を始め、アーティストの資質を浪費させずに、大切に扱ってほしいと望まずにはいられない。

アホみたいに長きにわたり連載してきた、宇多田VS倉木論(宇多田について殆どないという突っ込みはご勘弁を)本編は今回で終了とします。次回は終章らしきものにし、完全に終了という流れになります。駄文ではあるものの、それでも読んでくださった皆々様、本当にありがとうございます。
で、今後の予定ですが、「優れたベストアルバムとは」と「プロモ論・おまけDVD私論」の小ネタを扱った後、「CCCD論第2弾」を始めようかと考えています。






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