File101 祝い他事争論100回記念〜評価の心構え@


皆様、「ジョハリの窓」という言葉をご存知だろうか。ジョハリの窓とは、自分をどのように公開し、隠蔽するかなど、コミュニケーションにおける自己の公開とコミュニケーションの円滑な勧め方を考えるために提案されたモデルであり、これを提案した2人の心理学者ジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリー・インガム (Harry Ingham)の名前からとったものである。それによると、人間における自己の領域を

@ 自分も気づき、他人も気づいている「自分」
A 自分は気づいているが、他人が気づいていない「自分」
B 自分は気づいていないが、他人が気づいている「自分」
C 自分も気づかず、他人も気づいていない「自分」


の4つに分類されるとし、そのうちどれの占める比率が大きく、または小さいということを己に理解させたうえで、集団行動や対人コミュニケーションに応用していこうとするものである。
大学で心理学や社会学を学んだことのある方は、一度は聞いたことがあるのではないだろうか。また、会社の新人研修などでも比較的よく出てくるものでもあるので、ご存知の方も多いことでしょう。
で、このジョハリの窓とこのサイトに一体何の関係があるのかというと、私がアーティスト評価やレビューの際の基準の類型が、ジョハリの窓の理論から応用している(というほどでもないけど)からだ。それはどういうことかというと、アーティストや作品評価に関し、

@好きだし、実力も高く評価しているアーティスト
A実力は高く評価していないけど、好きなアーティスト
B好きではないが、実力は高く評価しているアーティスト
C好きでもないし、実力もないと評価しているアーティスト


@好きだし、完成度が高いと評価している曲
A完成度は低いが、好きと評価している曲
B好きではないが、完成度は高いと評価している曲
C好きでもないし、完成度も高くないと評価している曲


というように4つの領域で分けているということだ。
もっと簡単にいうと、アーティストや曲評価において、好みでの評価と実力面での評価とをある程度切り離しているということだ。もちろん好きではない人とか、好みに合わない人を高く評価するということは、心的にかなり難しいものがあるが、自分の評価の方針としてここのところの線引きを厳しくしていきたいという思いは、サイトを立ち上げた頃から常にあった。つい最近レビューに関しての説明で、「但し曲が好きでなかったとしても、一アーティストとして力量を認めることができる作品に対しては(つまりは上記の要素をみたしてさえいれば)、60点以下をつけることはありません。」と設けたのには、この思いの率直な反映と理解していただきたい。
かなり失礼になるのを承知で、具体的なアーティスト名をもってみてみよう。

@の領域には、ガーネットクロウとか小松未歩とか柴田淳とか熊木杏里とか・・・。いちいち述べるまででもないが、このサイトにおいて主に支持し応援している人たちである。
Aの領域には、北原愛子、岸本早未、島谷ひとみ、などがその代表といえる。
Bの領域には、竹内まりあ、松任谷由実とか高宮マキ、Lyrico、DOUBLE、AIKO、椎名林檎とかであろう。
Cの領域には、竹内めぐみ、北出奈菜、元ちとせ、小柳ゆきなどが入る。

ここで改めて@とAの話をする必要はないし、それはBCの説明をもって遠まわしでも理解していただけると思うので、あえて後者の説明を中心に記していく。
BとCとを分ける壁として考えていることに、ずばり「論理性」と「必然性」がある。つまりは、そのアーティストや、そのアーティストが所属する事務所などが掲げているお題目と、実際にやっている音楽との間に論理的な一致があるか。アーティストとそのアーティストがやっている音楽の間に、あえてやるだけの必然性があるか、ということだ。私が酷評したり、厳しいことをいったりしているアーティストや作品は、得てしてこの両要素に関し、著しい疑問や不満を強く感じるのだ。
ここで例として滴草由実と竹内めぐみを上げて説明していく。ただ、両名のファンにとってはかなり面白くない文面になりますので、始めにそのことをご了承いただきたい。
次回に続く。






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