File91 宇多田VS倉木論A


今回からキャラクター性について述べていく。まずはジャケでの容姿について。

倉木は1982年の10月生まれ、一方宇多田は1983年の1月生まれ。年こそ違えど学年としては一緒ということになる。日本デビューに関しては、宇多田が98年の12月、倉木が99年の12月と1年宇多田の方が早い。まず両者共に言えることは、デビュー当時の年齢がそれぞれ15歳、17歳ということだが、当時の同年代の女性と比べてもお世辞にも「垢抜けている」「洗練されている」といえる風貌ではなかったということ。髪は当時においても珍しく黒髪だし、これといったメイクが施されているわけではない。但しこのことは、二人が不細工だといいたいがために示したわけではない。どちらかというと「幼い」ともとれる彼女らの容貌が、「年齢や容貌にそぐわない本格的な曲を達者な歌唱で歌う歌姫」という売り文句を強化し、彼女らが音楽界に登場するまでに彼女らと同系列の音楽をやっていたアーティストらとは比べ物にならないほどの支持を得る上で、絶大な効果を挙げたことは、いうまでもないだろう。いわゆる対比効果ということか。もし宇多田や倉木も、「いかにもアメリカンナイズされた大人びた容貌」であったとしたら、また「20歳以上の年齢」であったとしたら、彼女らは世間からこれほどまでに注目されたであろうか。
よくよく考えると倉木や宇多田が出てくるまで、当時の彼女らと同年代で歌をやっているものといえば、「アイドル」か「タレント」ばかりであった。
90年代を振り返ってみても、ZARDの坂井泉水、リンドバーグの渡瀬マキ、相川七瀬、マイラバのアッコ、松田樹里亜などなど、いわゆるガールズポップ時代を築いてきた女性アーティストらは、デビューした時にはすでに「大人といえる年齢」か少なくとも「子供とはいえない年齢」であった。
今でこそ、林明日香、菅崎茜、KAZAMI、BOA、玉置成実らなど、優れたティーンエイジャーボーカリストが当たり前のように出てきてはいるが、その風潮を作ったのは、倉木と宇多田、そして住んでいる世界が完全に違うものの、彼女らと同時期に出てきたモーニング娘の存在があったからと私は考えている。彼女らを考える上で年齢という問題は、避けて通ることができないのは間違いないだろう。

デビュー当初の宇多田と倉木を比較したとき、「垢抜けていない」という共通点があるものの、それぞれの1stアルバムのジャケを見た際には、倉木の方が「若干のミステリアスさを感じさせつつ、より幼さとかわいさ」に重点をおいているように感じる。ジャケにおいて宇多田のようなドアップでかつ正面からの写真が比較的少ないことと、距離を置いた写真や横向きやうつむいた表情が多いこと、服装の種類が多いことなどが、そう考える根拠である。但し、あくまで「宇多田」と比較してのこと、ではあるが・・・。このことは、倉木が宇多田と比べ男性ファンの比率を高めた要因であり、また倉木が作曲しないという事実と合わせ、「アーティストでない」「単なるアイドル」といった言説の要因となったことはいうまでもないだろう。
倉木が1stアルバムを出したとき、既に宇多田は「Addicted To You」「Wait&See〜リスク」のジャケを持って、少しずつではあるが大人びた感じを見せるようになった。「Can't you keep A Secret?」のジャケとプロモは、この時点において、そのことが最もでた一作であるといえる。一方1stアルバム以降の倉木は、「冷たい海」「Start〜」のジャケを見ても、特にそういった傾向は見受けられない。

両名とも顕著に変化を見せたのは2ndアルバムでのジャケ。特に黒ドレスに濃いメイクで決めた表紙やノースリの衣装を着た中写真がある倉木は特にその傾向が強まったといえよう。
両名とも1stアルバムのような幼さや垢抜けなさを感じず、各々の外見的魅力をそれなりに出せており、両作における音楽的な成長や、それを可能とした人間的成長を象徴しているといってもよいのではないだろうか。但し、宇多田と違い倉木に関しては若干問題があったように思う。アルバム解説のときにも詳しく書くが、脱宇多田路線を露骨に意識したがために、曲にAOR的要素やダークな要素を曲に取り入れた。その音楽性の変化にあわすために、2ndアルバムのようなジャケ写になったことは、想像に難くない。ただそのことは、当時の倉木の外見や実年齢や控えめさを感じる性格と比べ、少し無理があったように思える。

3rdアルバムにおいては、宇多田に関してはもう完全に「大人の女」としての雰囲気をジャケ全般から感じ取ることが出来る。セミヌードっぽい写真はまさにその象徴ともいうべきものであろう。宇多田の表情は見事なまでに色気を放っている。このアルバム発表の2ヶ月半後に紀里谷と電撃入籍がをすることになるが、紀里谷との交際が少なからず影響していることは間違いない。元々確固たる考えを有した宇多田ではあるが、この時点では、一般的な同世代の女性と比べても、様々な点で相当に大人びているといっても言い過ぎではないだろう。
一方の倉木は、「大人と子供の端境期にある少年少女の葛藤」〜、当サイトと相互リンクさせていただいているちゃぶー氏運営の倉木麻衣本格研究サイト、倉木麻衣の研究〜A Study In Mai-Kの3rdアルバムレビューの言葉を借りると、「マージナル・マン」(周辺人・境界人、ここでは大人と子供の中間を示す)であるが故の苦しみ・葛藤・希望・不安などを主題とした傑作である今作を体現するような、大人っぽさと子供っぽさの両面性を見せた写真を見ることができる。前作と同様に着飾ってはいるものの、今作の写真には前作ほどの不自然さや無理さを感じさせず、この当時の倉木の外見的魅力を出せていたといえるだろう。
実はこの時、興味深い現象を両名に見ることができる。宇多田は今作発売のあと、「Travelling」「光」「SAKURAドロップス」などに見られるように、髪を黒く染めている。一方の倉木は、3rdのジャケにあるように髪の毛を茶色?に染めている(時期的には倉木の方が数ヶ月後だが)。これはいったい何を暗示しているのだろうか。偶然とはいえ、ほぼ同時期にこういった動きが見られるのは興味深い。
その理由として、宇多田に関しては、先ほども少し述べたが、結婚をしたことにより落ち着きを見せたからだと分析する。倉木に関しては、彼女なりの自己変革〜「今までの自分ではない自分を見せたい」「過去の自分とは違う新たな自分」の提示〜のあらわれなのだろうと分析する。しかし、その分析は、倉木4thアルバムのジャケにこそ、より一層当てはまるといえよう。
4thのジャケは、今までの3作と比べ、ジャケ写のために着飾ったという印象や年齢を気にした感は微塵もなく、ラフな装いを見せている。また、笑顔〜しかも自然なそれ〜が多い。大学生の女の子らしさと同時に、大人の女性としての確実な成長をも感じ取ることが出来る。しかし、最たる変化は、彼女のトレードマークとも言うべき「マイケーヘアー」が、今作にはないということだ。上記紹介したちゃぶー氏は、この出来事に対し、「同時代の若者の先頭に立ち,常に最高のアジテーターであった彼女は,その若者たちとともに悩み,揺れ動き,そして成長してきた。しかし倉木はここに至り自らの足元を見据え,完全にアイデンティティを確立した。そして繭を脱ぎ捨て,新しい姿で降臨した。それはあたかも彼女が「マイケーヘア」を捨てたのと時を同じくする。」と分析されている。
宇多田は元来有していたしっかりとした考え方に加え、結婚という事柄によって大人と子供との狭間に、半ば強制的にけりをつけたと感じる。倉木は宇多田と違い、長きにわたる葛藤と思考とを経、自分なりの答えを見つけたのではないだろうか。「マイケーヘアー」を一端(?)止めるという行為はその一つの表れかもしれない。

まあ長々と語ってきましたが、今現在の両名は、ここの好みはさておき、それなりの外見的魅力を見せているといえるでしょう。美人とまではいえないものの、各実に自己の魅力に磨きがかかってきていると思う。まあ外見だけで選ばれた、というわけではないだろうが、「CDTV」で「恋人にしたいアーティスト」で上位にランクインしていた事実を見るに、二人の容姿に対する支持はそれなりにあるといえるのではないだろうか。

次回は性格分析に踏み込むか、省略してアルバム分析に入るか、になりますが、どっちにするかまだ決めかねております。すいません。






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