File89 再びゴールドディスク大賞を斬る〜「売上賞」の大いなる問題を問うA


前回からの続き。
前回にも記したが、ゴールドディスク大賞の大きな問題のもう一つは、「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」、「ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」といったゴールドディスク大賞を構成する主要な賞の判定基準が、「売上の合計」ということにある。
「売上の合計」は数字という具体的なものででるし、客観的だからいいではないか、とここで考えられる方も恐らくいることでしょう。ただ、売上合計という選出基準は、客観的で一貫性があることは確かなれど、それが必ずしも「平等な選出」を意味しているわけではないこと、「売上の数字の合計」という選出基準が必ずしも明快さを有しているわけではないことを、ここで私は強く言っておきたい。何故ならこの賞には、「何を売上としてとらえるか」という視点が全くもって欠けているからだ

浜崎みたいにアルバムを年に5枚も出したり、シングルを6・7枚を出すアーティストと、年にシングル2作、アルバム1枚出すアーティストを「売上の合計」という土俵で比べることが、選考における一貫性や明快性を示すことになるのだろうか。また、これまた浜崎のようにリミックスアルバムをたくさん出すことのできるアーティストと、鬼束や柴田のようにそういったものを出さない、いや出すことのできないアーティストを同様に比べることが、賞のあり方として正しいといえるのだろうか。明らかにそうではないだろう(例えば鬼束の「私とワルツを」のトランスミックスとかを一体誰が聞きたいと思う?)。
この賞ができたころは、まだよかったかもしれない。しかし、かつてと違い、今のようにカバーアルバムやベストアルバム、リミックスアルバムといったものが、異常といえるまでに発売され、あふれかえっている状況では、「売上の合計」という選出基準が客観的であるとはいえないのではないだろうか。作品を数多く出したものが、当然のことながら売上が増えるからだ。「売上の合計」という選出基準は、結果に対する一貫性や平等性、明快性はあるものの、機会均等の立場からはそうとはいえない、というのが私のかねてからの考えである。このことはゴールドディスク大賞に限らず、「売上」を選出基準とするすべての賞に共通していえることであろう。
今回大賞に選出された浜崎は、シングルもアルバムも合計では一番であるものの、単品ではそうではない。なのに「大賞」とはいかがなものだろうか。さらに今年浜崎が大賞を取ることができたのは、「バラードベスト」の存在があったからだといえるが、これもいかがなものか。
前回のゴールドディスク大賞では、「ソングオブザイヤー」部門で、平井堅の「大きな古時計」が選出されているが、これもどうだろうか。

昨年も述べたのだが、ここであえて(ほぼ)同じことを私は言いたい。「売上の合計での選出大いに結構、しかし、何をもって売上とするのかの条件付けをせねばなるまい」と。

私は、ゴールドディスク大賞のように「売上」や「売上の合計」を選出基準として掲げるのであれば、少なくとも以下の選出条件を設けるべきだと考えている。

@評価大賞はあくまで「スタジオオリジナルアルバムとシングル」のみ。ベストアルバム、カバーアルバム・シングル、企画モノアルバム、ライブアルバム、リマスター再発作品などは、「売上」に含めないこと。
A売上げの計算に関しては、あくまで一種一品主義を貫くこと

項目@に関しては、説明はいらないと思う。@の項目を設けることは、賞選出における「平等性」を果たす上で意味があると考える。
Aに関しては説明の必要があろう。これに関しては次回に。





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