File53 GIZAアルバム詳細評論その6〜三枝夕夏


いよいよこの詳細レビューも後半か?と感じつつも、それでもまだまだやらないかん作品の多いこと。しかし、がんばります。

1stアルバムで、すばらしい曲を聞かせてくれた三枝夕夏。しかし、それ以降彼女を積極的に売り出そうとするGIZAの意向があったからかどうかは判然としないが、彼女に対する戦略が従来とは一変する。顔とスタイルはグラビアアイドル的であるが、曲調は比較的大人しめでもの悲しさを感じさせるものが多く、そしてそれをじっくりと噛み締めるかのような、丁寧な発声に基づく歌唱がとても印象的であったのだが・・・。
「CHU CHU LOVE」で急激に彼女の外見の露出が急激に増え、曲調もそれに合わせたかのごとく、妙に明るいものへと変貌していった。しかし、今までの曲で大いに満足していた私にとって、これを受け入れるのに非常に時間がかかってしまった。そしてその後、従来の楽曲提供者から変わり、小澤が主導を握った「I can’t〜」「君と約束した〜」は、悪いとまでは言い切れないものの、個人的に三枝に対して望む、また三枝のもっとも魅力とするものとはだいぶ離れているものであり、三枝のよさが出ていないと感じた。故に非常に厳しい評価を下したのであるが。
そういったこともあり、題材的な宣伝がなされてはいるものの、この作品に対する期待はあまりしてはいなかった。結論を先に言うと、ガーネットクロウとは違い、その不安を完全に払拭するどころか、逆により深めてしまった凡作であると、残念ながら言わざるを得ない。以下その理由として私が感じるものを記していく。それは、

@楽曲の質が1stに比べ落ちているということ
Aアップテンポの曲が、似かよっていること
Bメロディーに対し、詩を詰め込みすぎなこと。また詩そのものにも魅力を感じないこと
CBに加え、三枝の淡白で単調な歌唱に魅力を感じないこと
D結局三枝らしさとは何だろうか、という疑問を終始ぬぐえなかったこと

などがあげられる。各要素が絡み合っていることから、一個ずつ解説していくのは無理なので、総論的に述べていく。

まず@である。これは感覚的なものが大きく左右するので聞く人によっては評価がわかれるところであろうが、私としては、今作を聞いていて感じた大きなモノの一つといえよう。
製作陣が大幅に増え、曲種としては増えたのであるが、残念ながら、かつてのしっとりと且つ、丁寧な発声で歌い上げるミドルテンポのバラード曲や、「Teas go by」のようなドラマティックでもの悲しさを感じさせる、「GIZAが最も得意」とする優れた曲が、今作では見受けられない。いやそういう系統の曲はあるといえるのだが、これら曲と比べるにははっきりいって質が低いと思う。特に、前作ではすばらしい曲を聞かせてくれた大野愛果提供の曲が、かつてないほどに魅力を感じないのが、一番の問題であろう。そもそも曲種的に大野が担うべき曲調であるとはいいがたい気がするのだ。どっちかというと徳永や輝門の領域ではなかったか。何か聞いていて妙に浮ついたというか、しっくりこないのである。
大野以外の曲もさしていいとは思えない。久々提供で大いに期待していた川島の曲も、北原のよりはましであったが、本来の彼女の力量を考えると大いに不満である。徳永の曲は、今作では一番ましなのではと感じるが、これも本来の彼の実力を考えるとあかんでしょう。特に「君の瞳の中はミステリー」はしょぼいタイトルと同様、曲もしょぼすぎた。
シングル時の三枝は、愛内と並び、今年のGIZAの楽曲製作能力の大いなる低下を象徴してきたと言えるが、まさにこのことを決定的にしてしまったのではと感じる。
曲自体もよくないのだが、さらに曲の質を貶めているものがある。三枝の歌いまわしと詩とである。
三枝はもともとミドルテンポのバラード曲において最大の魅力を発揮していたといる。しかし、今作の大半を占めている妙に明るく、浮ついた感のあるアップテンポバラード曲での歌いまわしの単調さと、小澤提供曲での低音部分の迫力に欠ける歌唱とには、聞いていてかなりがっかりしてしまった。それゆえ、曲の魅力をより引き出すどころか、曲との一体感をあまり感じず、何度聞いても「カラオケ的」印象を拭い去ることがついぞできなかった。これら要素と彼女のありきたりな詩、そして小澤曲を始め顕著に見られる「詩の詰め込みすぎ、及びそれによって押し付けがましさを感じてしまった」ことが、魅力なき楽曲の魅力をさらにそいでしまったと私は分析する。

うだうだ述べてきたのだが、上記問題全部を通して感じることは、「作品がまったくもって面白みにかける」「三枝夕夏らしさを感じなかった」ということにあろう。
曲の完成度だけだと、愛内や北原や岸本よりもこの作品の方がずっと上である。北原作品における小澤曲や、岸本作品における加藤・村田曲、愛内作品における輝門曲ほどの酷い曲が今作にはないからである。しかし、音楽の魅力や評価を判断するのは何も曲の完成度だけではない。それは曲や詩を通して感じとることのできる思いであり、歌い手の魅力などでもあるからだ。そのように捉えた時、三枝の今作は、今年のGIZA作品の中でも「愛すべき作品」ではなく、「聞いていてもっともつまらない」作品と位置づけることができる。悪くもないけどなんらよい点を見出すこともできないからだ。
私は、問題や欠点が多々あっても、歌い手の声質の魅力や思いを感じとることのできる作品の方がずっとすきである。完成度が低すぎる作品は当然大嫌いなのであるが、それと同じくらいに嫌いなのが、優等生的な作品であっても、何をやりたいのか何をさせたいのか、何をもって売っていきたいのか、音楽をとおして何をうったえたいのか、何を強みにしているのか、という要素を感じない作品である。そういった点で考慮するとき、北原や岸本の作品の方が、私にとってはよほど「愛すべき作品」であるといえよう。

ジャケ写真や特典など、小松のちんけな紙ジャケやガーネットクロウのしょぼいジャケ写や岸本のだめだめなジャケデザインと比べると、本作に対する過剰なまでのGIZAの力の入れようを顕著に感じ取ることができる。おそらく今年の中ではダントツといってもいいだろう。しかし、そういった力の入れように値する作品であるとは断じて私はいえない。
今でも三枝のファンであることには変わりないのだが、今作によって、その思いの大部分を消失してしまったといえるだろう。今回のレビューは、はっきりいってかなり厳しいものになってしまったが、それはファンである思いが強いからだ。私は、あくまで楽曲及び楽曲をいかすことのできる歌唱至上主義である。「昔よかったから」とか「だれだれだから〜」といった観点で評価を上げ下げすることはしない。誰であっても「つまらない」というし、いいものは「いい」きちんという。これは、このサイトにおける基本前程だ。もちろん感情のある人間であるので、「完璧にそれを守っている」とは絶対にいわない。その変わることの一つとしては、上記のようなことではなく、かつていい作品を出していたアーティストが、完成度が低く魅力に欠ける作品を出してしまった時である。今年のGIZAの作品で、酷評をした愛内・北原・三枝の3名はまさにこのことが当てはまる事例だ。
三枝及びGIZAの製作陣に、「三枝夕夏というアーティストの魅力、何をもって売り出すのか」などなどの点に関し、原点に立ち返りきちんと考えてほしいと切に願っている。

次回は予告どおり「歌姫たちの受難〜その明暗を分析する」をやります。タンバリンズとガーネットクロウのレビューをやっていないで、このテーマを行うのに少し抵抗を感じるのですが、特にガーネットクロウがかなりの時間と分量とをさくこともあり、あえてこの通りの順番にします。申し訳ないですがご了承ください。







botan2.gif
他事争論過去一覧へ


botan1.gif
ホームへ