File35 ビーイング変遷史その4


今回からいよいよGIZA期。まだまだ論稿は続きますが末永くお付き合いください。今回は1999〜2001年までのおおまかな流れについて記していきます。

・GIZA期(1999〜2001)

・主なアーティスト
倉木麻衣 ガーネットクロウ 愛内里菜 小松未歩 上原あずみ ラムジェットプーリー ルーマニアモンテビデオ 松橋未樹 タンバリンズなど

主な製作陣
作曲:大野愛果 徳永暁人 川島だりあ 小松未歩 小澤正澄 三好誠など 作詞:AZUKI七 
編曲:古井弘人 大賀好修 池田大介 サイバーサウンド 徳永暁人 小澤正澄 尾城九龍など

1998年、MISHA、宇多田らが登場し、世の流れはプロデューサー時代から一気にR&Bブームへと移行するさなか、ZARDや大黒摩季、WANDSらかつてのトップアーティストは完全に失墜。シングル「願い事一つだけ」「氷の上にたつように」、2ndアルバム「未来」を発表し大ヒットを記録した小松未歩が唯一、気を吐いていたといえよう。(しかし、これら作品はGIZAの名義では発売されなかった。)。
そして1999年、宇多田の1stアルバムが日本音楽史上最高の売上げを記録し、日本がR&B一色へそまり、有象無象にR&Bをやる女性アーティストがでるさなか、その極めつけともいえるアーティストがこの年の年末に登場する。倉木麻衣である。 
デビューの際の方法論などに関し、「宇多田のパクリ」という散々な非難を受けることになるが、皮肉にもこのことが彼女の知名度と売上げを高める上で、大野愛果が紡ぐ楽曲の完成度と同じくらい貢献したといえよう。しかし、どういったいきさつがあるにしろ、単に「宇多田のパクリ」(私は違うと考えているが)といった話題性だけで400万枚以上売ることは不可能であることは確かであろう。売上げが示すように幅広い支持を得ることになったのには、本格的R&B路線ではなく、あくまで日本の今までの歌謡曲的要素を徹底的に昇華させ、その上にR&Bの要素を加えるという新機軸と倉木のくどさやくせを感じさせない歌唱にあったと私は推察する。(詳しくは過去の他事争論で)。
まあ、そんなことはさておき、倉木のデビュー曲である「Love day after tomorrow」はロングセールを記録し、累積ミリオンを突破する。そしてこの勢いと話題性とを保ったまま2000年6月に発売された1stアルバムは、400万枚以上という歴史に残る好売上げを記録し、この年最も売れた作品にもなった。ビーイングの女性アーティストでは1993年のZARDの「揺れる想い」以来の快挙であり、この2000年はビーイングが天下をとった年であったともいうことができよう。
だが、倉木の快挙に隠れがちであるが、2000年には後のGIZAを考える上で重要な存在となるガーネットクロウと愛内里菜、そしてラムジェットプーリーとGIZAの有力アーティストがデビューしている。
特にコナンのタイアップ曲を始めとし、良曲を多く送り出したこれらアーティストは、倉木とは違い、この年の音楽シーンの主軸となることはなかったものの、少しずつ、しかし確実に支持基盤を構築していったといえるだろう。その積み重ねが2001年における両アーティストの躍進へと繋がるのである。

2001年、GIZAは倉木麻衣を主軸にしつつ、それを支えるアーティストらと共に一気に攻勢をかける。
まず年初めの1月にガーネットクロウ・愛内里菜共に1stアルバムを発表。両アルバムは大ヒットにはならなかったものの、オリコン上位ランクを記録し、ロングセールとなった。それ以上に、両作はGIZAの高い楽曲製作能力を象徴するような圧倒的な完成度を有する名作であったといえる。特にガーネットクロウの1st(正確には2nd?ファーストカレイドスコープがあるから)は、個人的に日本の音楽史上に残る究極の名盤であると思っている。恐らく何十年と時を経た後にも伝説の名盤として残り続けるような気がする。7月には倉木の2nd、9月にはラムジェの1stと立て続けに良作を送り出しつつ、上原あずみ・タンバリンズ・松橋未樹らといったアーティストも送り出す。2001年は、頂点をとったわけではないものの、個人的にはビーイング・GIZA史を考える上で最も充実した年の一つではないかと考える。  







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