File33 ビーイング変遷史その2


・ビーイング絶頂期(1993〜1994年)から衰退期へ(1994年〜1998年)

1990年の「おどるポンポコリン」の大ヒット以降、前回に記したビーイングの各アーティストは、10万枚以上の売上げ枚数を記録する楽曲を量産し続ける。その彼らの楽曲が絶大なまでに売れ、ビーイング史上最初であり、最大にして最高最強、そして最後になる空前のヒットを1993年に記録すし、黄金期を構築する。

1993年の年間ヒットランキングを見て見ると、シングルでは、

1位のチャゲアスの「YAH YAH YAH」、4位のサザンの「エロティカセブン」、8位の松任谷由美の「真夏の夜の夢」以外の7曲をビーインググループのアーティストで占めた。時代性もあるものの、そのすべてで、今では考えられないような130万枚以上の大ヒットを記録する。その中でもZARDの「負けないで」(165万枚)と「揺れる想い」(139万枚)、WANDSの「時の扉」(144万枚)と「世界中の誰よりきっと」(132万枚)と、この両グループの圧倒的強さを見せ付けた。
またアルバムにおいても、ZARDの「揺れる想い」が193万枚で1位、WANDSの「時の扉」が160万枚で2位、「Little Bit」が84万枚で10位、B’zの「FRIENDS」が135万枚で6位、T−BOLANの「HEART OF STONE」が86万枚で9位と、ここでもベスト10のうち半数を独占する。WANDSとZARDは、この年の年間総売上1位と2位となり、まさに「飛ぶ鳥を落とす」と証するにふさわしい、最高の活躍を見せることとなる。第1次音楽バブルである

この当時の勢いに味を占めたのか、ビーイングはこの年大量のアーティストを送り込むことになる。
坪倉唯子、SO−FI、森下由美子、中原薫、Beach、柳原愛子、REV、BAAD、ZYYG、DEEN、宇徳敬子らなどが一気に1993年にデビューし、一部の例外を除き、各自それなりのヒットを記録した。

しかし、このアーティストの大量乱発が、94年以降のビーイングの崩壊をもたらし、彼ら自身の首を絞めることになる。この年に登場したアーティストは、宇徳敬子といった自作自演する一部アーティストを除き、楽曲の完成度や声質は総じてよいものの、91年に登場したZARDやWANDS、果てはそれ以前の先達であるB’zの2番ぜんじという感がどうしても否めず、彼らならではの個性やよさというものを感じなかったのが致命的だ。特に男性アーティストグループにいたっては、曲調が熱烈なファンやマニア以外の一般の聞き手にとって全く区別がつかなかった。これは当時のものまね番組においてWANDSやT−BOLANらなどが、「みんな同じ」と番組の司会者や出演者らに揶揄されたことでも証明されている。
94年においても、シングルで大黒摩季の「あなただけ見つめてる」(123万枚)が8位、WANDSの「世界が終わるまでは」(122万枚)が10位、アルバムでは、ZARDの「OH、MY LOVE」(161万枚)が5位、DEENの「DEEN」(134万枚)が8位と、それなりの実績を挙げたものの、前年に比べるとその勢いの衰退は明らかであり、深刻なものがあった。
ZARD・WANDS・大黒摩季・DEENといった、まだヒットチャートに入り続けたアーティストはいいものの、それら一部のアーティスト以外は、一応活動をしているものの「泣かず飛ばず」であり、実質の活動休止状態に追い込まれたといえる。それには、上記アーティストの没個性に加え、ライブやテレビにでないビーイングアーティストに対する音楽的力量への疑問や、秘密主義的政策に対する反発、そしてエイベックスアーティストの登場と躍進とがある。
特にエイベックスアーティスト、この当時では楽曲製作の中心となった小室哲也の名をとった「小室系」と称されたアーティストらの躍進は、ビーイング一派に決定的なダメージを与えた。
この94年には、篠原涼子with T・KOMUROの「愛しさと切なさと心強さと」(162万枚)が3位、TRFの「Survival dAnce」(135万枚)で7位、「Boy Meets Girl」(122万枚)、アルバムにおいてもTRFの「Billionaire」(142万枚)で6位、「World groove」(88万枚)で9位、と既にビーイングに匹敵する業績を上げている。
タイアップによる販売戦略、詩曲分業製作やアーティストの外見重視といった各方針は、ビーイングと同じであるものの、決定的に違ったのはテレビや雑誌といったメディアに積極的に露出させたことにある。ビーイングの方針の最大の弱点をついた戦略は功を奏し、多くのビーイングアーティストを次々に過去の産物へと追いやって行った。また、数多くのオーディションを行ったことも大きな違いである。オーディションを行うことにより、在野から発掘した歌い手は、ビーイングのアーティストを凌駕する歌唱力を見せ付けたことも、ビーイングの衰退を招く大きな要因になったといえよう。
プロデューサー時代がこの年から始まりを告げたのであるが、97・8年までにいたるこの流れを小室と共に築いていったもう一人の功労者、小林武史率いるマイラバとミスチルらの存在もあり、ビーイングの存在は年々衰退していく。つまりは衰退期を迎えることになるのである。
その話は次回で。







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