♪File:23 1969年に思う


今回は、小難しくりくっつぽい評論的なものはお休みにして、ちょっと前の(でももう10年前)の音楽シーンとそれを作ったアーティストについて、感慨深く語りたいと思います。よって20歳以下の方にとっては、よくわからない話であると思いますがご容赦願います。

プロ野球でいう松坂世代じゃないけど、スポーツや芸術の分野において、優れた才能をもつ人材が同世代に集中するということは往々にしてあります。この私が女性音楽シーンの歴史においてそのことを感じさせられるのは、1980年代後半から1990年代前半、まさにバブル絶頂期時代の日本の女性音楽シーンを構築した1969年生まれのアーティストたちであります。
具体名を挙げていくと、ZARDの坂井泉水・森高千里・大黒摩季・リンドバーグの渡瀬マキ・シーソーの石川千亜紀・久宝るり子・井上昌己などなど・・・。

彼女らの登場により、おにゃン子クラブやCOCO、リボンをはじめとしたアイドルグループが構築していった80年代の音楽シーンの流れに終わりを告げさせ、詩や曲などを自作するニューミュージックを中心とした音楽シーンが始まることになります。
しかし、松任谷由美や竹内まりあなどが活躍したころのニューミュージックのアーティストと違い、この時代のものは、アーティストの音楽的素養を感じながらも、80年代のアイドルシーンを半ば継承するかのように、総じて外見も優れたものが多かったことがある。今日の音楽シーン、特に女性音楽シーンにおいて、良い悪いは別にして、女性アーティストに人々が求めるないしは基本要素となっている、「外見のよさ」と「詩や曲や作るなどのある程度の音楽的素養」の流れは、まさにここから始まったといってもよいであろう。
アイドル幻想が崩壊していく時代の過程で、アイドルにありがちな作られた感や非現実性やわかりにくさではなく、楽曲のよさや歌唱の魅力などが明確にわかるような、地に足がついた音楽と人材とを人々が求めるようになってきたことが、この音楽シーンの流れをつくった。上記アーティストらは総じて、人々の要望に合致したアーティストといえるのではないだろうか。

そんな彼女らの絶頂期といえる年は、彼女らが22〜23歳である1992年。年齢的に、女性としても一番乗りにのった時期でもあります。個人的にもちょうどあこがれのお姉さん的存在の彼女らに強く惹かれました。
歴史の流れにも節目があるように、音楽シーンの流れにも当然節目があると思うのですが、個人的にその節目と認識した最初の年であると思っております。(他には1995年、1998年、2002年があります)。
ZARDが「眠れない夜を抱いて」、大黒摩季が「DA・DA・DA」、久宝留理子が「男」、森高千里が「私がおばさんになっても」、リンドバーグが「恋をしようよ Yeah Yeah」で大ヒットを記録し、その後の躍進を決定付けたことからも、このことを証明しているといえるではないでしょうか。

私は、この時期まではアニメの主題歌とサントラ、そしてMTVを賑わしていた洋楽アーティストを聞いているという極端な音楽志向の持ち主であったのですが、この時期に彼女らの音楽に接することにより、日本の女性アーティストの魅力というか、楽曲のよさというものを感じるようになりました。今の自分の、音楽やアーティストというものに対する考え方などの原点がここで築かれたということでも、非常に重要な意味をもっていたのです。

日本の女性音楽史において黄金期ともいえる活躍を示してきた彼女らですが、それが続いたのは、TRFや篠原涼子など小室哲哉に率いられたアーティストが台頭してきた1994年ごろまでと約2年。これからしばらくはプロデューサー時代が続くこととなる。

そんなこんなで、ひどくいいかげんな個人的見解となりましたが、こんなところで本論は終わり。この時期から10年がたち、90年代前半のシーンを構築していった彼女らも30を超え、結婚や出産をするなどがあり、今現在も一線で活躍している人は殆どいなくなってしまった。
論稿を書きながら、時の流れというものの無常さと、自分も彼女らと同様に年をとってしまったことに対し、少しばかり感傷的になってしまった。しかし、この時代のことを忘れることは決してないだろう。

次回からは、浜崎あゆみについてしばらく述べていきます。タイトルはまだ未定ですが、「没落する浜崎〜その権威の崩壊」を予定。変更の可能性あり。それでは







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