他事争論

File158 2005年上半期音楽シーン総評の総評3


今回は、前々回の総評とは違った観点でシーンで総評を行いつつ、今後の予想らしきものについて記していけたらと思う。そのキーワードは、「階級格差」「文化資本」と、「オールラウンダーVS専門」である。今回は前者について記していく。
最近の女性音楽シーンを見ていて思うのは、『「階級格差」による音楽性の違いが出てきた』ということである。小渕・小泉らによる「構造改革」とやらの政策や、日経連が打ち出した「新日本的経営」の指針、アメリカ型の成果主義制度の導入などもあり、特に1998年以降日本で急激に収入や地位などによる階層化が進行した。
既に、金持ち層と貧民層との収入格差は広がりを見せ、200万円以下の貯蓄層と1000万円以上の貯蓄層との比率が顕著に伸びてきている。高級ブランドや高級飲食店が繁盛する一方、激安ファーストフードや100円ショップも大繁盛している。不安定雇用であるフリーターや派遣社員が増加している一方、人減らしの影響を受け、高給をもらいながらも週60時間以上も拘束され働かされる「正社員」も増加していることを見ても、このことは明らかである。日本は既に「総中流社会」などではなく、「勝ち組」「負け組み」という言葉に象徴されるように、収入・所属・生活などあらゆる点に関し、はっきりと差がつき、個人レベルでそれをどうこうすることのできない「階級社会」になっているのである。
(この辺のところは、橘木俊詔、苅谷剛彦、山田昌弘、斉藤貴男あたりの書籍を読んでいただけたらと思う。)

こういった社会においては、フランスの大社会学者ピエール・ブルデューを始め数多くの学者が論じたように、親の持っている財産や学力が子供のそれに大きな影響を与える。いわゆる「文化資本」の格差である。金持ちの子供はピアノやバレエ、スポーツの習い事などを幼少時から行い、身体・頭脳などの能力を開花させるが、貧民層はそうはならない。しかし、こういった機会均等の不平等さも、上っ面だけの「平等社会」「競争社会」「成果主義」の名の元、「努力が足りない」とか「自己責任」といった言葉で正当化され処理されてしまう。今の日本は、「ゆとり教育論」や「成果主義」を見ていても、顕著にこれら動きが出ているといえる。そしてそれは、音楽シーンにもついに反映されるようになった。

かつてのJ−popに関しては、「学歴」や「親の職業」といったものがそれほど意味をもたなかったように思う。90年代を振り返っても、ZARD、マイラバ、TRF、ELT、浜崎あゆみらその時代を代表するアーティストを見ていても、歌い手本人の学歴のどうこうで音楽性がどうこうといったことはなかったように思う。せいぜい自分が子供のころ親が聞いていた音楽に影響を受けたとか、お稽古でピアノを習わされた、といったことぐらいだろう。98年以降のアーティストである、COCCO、モーニング娘。鬼束ちひろ、矢井田瞳、島谷ひとみ、倉木麻衣、といった代表的アーティストが構築していった音楽シーンも、ジャンルやグループアーティストかそうでないか、といった点での違いはあったが、そのシーンの形成が歌い手の学歴といったもの左右されていたかというと、明らかに違うだろう。唯一の例外は、親が歌手である宇多田ヒカルぐらい。
(宇多田の登場は、今にして思えば、階級社会化する日本の象徴的出来事のように思う。世襲的な2世タレントの先駆け的存在でもあるし)。
しかし、今回の音楽シーン総評で示した「ハードな音楽VS王道バラード」の対立構造に関し、階級構造・収入などが構築する文化資本の差が明確に反映されているのである。分かりやすく言うと、「ノンエリートVSエリート」の対立構造が見て取れる。ここにおいては、前者の音楽性をやるアーティストに「ノンエリート」出身が多く、後者の音楽に関しては「エリート」が多いということである。

王道バラードに関しては、一青窈、平原綾香などがまさしくそう。一青窈は慶応大学出身。平原綾香に関しては父も祖父もミュージシャン、しかも6歳と時から11年間バレエ団に所属しており、さらに高校で音楽科→音楽大学と進路を進めている。もちろん、平原の音楽的資質があったかこそ為せることなのだが、同時に彼女がごく普通の家庭の子供であればまず不可能な進路であろう。音楽的資質の開花も含め、両親が築き上げた文化資本や財力によるところが大きい。他のアーティストを見てもその傾向にある。
ソニーの大山百合香も母親がピアノ講師、東京の音楽専門学校という道筋を歩んだ。東芝の愛名も幼少時からアーティスト養成学校に通い、歌やダンスを学んでいた。大竹佑季は合唱部が強いことで有名な高校に進学し入部する。キングレコードの植村花菜は幼少時クラシックバレエを習っていたし、高校在籍時にミュージカルスクールにも通っていた経歴がある。ナナムジカに関しても、メンバー両名とも正規の音楽教育を受けている。この手のジャンルを専門とする者で数少ない例外は中島美嘉ぐらいだろう。

一方、「ハードな音楽」はどうか。
奥田美和子は高校1年で中退。ソニーのYUIは高校2年生で中退。北出菜奈は学校に行っているのか?
(ハイカラのマーキー、中ノ森BANDの中ノ森文子、ソニーの高橋瞳に関しては調査中。ご存知の方教えてください)

もちろん、すべてがすべてこの例にはまるわけではないし、王道バラードだからよくてハードな音楽だから悪い、というわけではない。ただ、ひょっとしたら私の勘違いなのかもしれないが、最近各サイトや雑誌でアーティストのプロフィールと音楽性とをつき合わせて見ると、音楽エリートとそうでないものとの音楽性に明確な違いを感じてならないのだ。

こういった二極化の動きに対し、下手をするとアーティストの枠を狭めてしまう可能性だけでなく、業界の風通しも悪くなってくるような気がしてならない。シーンの分断化は、発展の上でマイナスにしかならないのではないだろうか。今の日本の政策変化や企業体質の変化による社会構造の変化が今後も続き、人々の収入差が一層拡大するのであれば、ますます文化資本の差も広がっていき、当人が所属する階層・収入によってやる音楽性に大きな影響が出るのではないだろうか。


追記:
話がそれるが、それ以上に深刻なことは、収入格差の拡大が音楽と接する環境を貧乏層から奪ってしまう可能性があるということだ。既に家の収入が減ったことにより進学を挫折する人の数は増えている。そんな状況にあっては、CDやライブにお金を投じている場合ではないだろう。
(アメリカではラジオでしか音楽と接する機会がない、という人々もかなりいるという。)。ある意味、日本の音楽シーンの今後を左右するのは、音楽性とか流行とかではなく、今後の社会構造の変化なのではと最近思うようになった。






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