♪File:15 日本女性アーティストR&B私論 その2〜倉木登場・分裂衰退期


前回からの続き。

本場アメリカのアーティストのもつR&Bの雰囲気を、優れた技術により高い次元で表現したMISHAや小柳。本場R&Bの要素を出しつつも、自身の持つ天才的メロディーセンスにより、従来とは全く違うR&Bの解釈を提示した宇多田。そしてそれらを受けて有象無象に出てきた数多くのアーティストたち。しかし、倉木はそのどれとも違っていた。
それは、上記アーティストらが、「R&Bの本場アメリカ」を意識した「本格路線」をとるのに対し、倉木(正確にはGIZAスタッフサイドだが)がとったそれは、あくまで日本の歌謡曲やポップスを延長・昇華したそれにR&Bの要素を加味したものであったからだ。
当時出てきた多くのR&Bアーティストが「本場路線」に近づけば近づくほど、本来R&Bが有しがちな「くどさ」や「暑苦しさ」「しつこさ」というものを感じてしまうジレンマに陥っているさなか、倉木はそれをあざわらうがごとく、R&Bにあるまじき「聞きやすくなじみやすい」「あっさりしている」という「本格派路線」を逆手にとった戦略で支持を集めていく。
そういう倉木ならではの味や個性がなかったとしたら、いくら「実力よりも販売戦略や話題性で売っていける」と非難されがちな今日の日本音楽界においても、1stアルバム400万枚という売り上げを「宇多田のパクリ」といった話題性のみで挙げることは不可能であったでしょう。
私見ではありますが、倉木の登場は明かに本格路線へとまい進していく音楽シーンの流れに、完全に足止めをかけたと思います。このことが、File14で述べた「後者の倉木麻衣こそが、R&Bの歴史を塗り替えたという意味で、宇多田やMISHAと並ぶ重要人物であると考えている」の根拠であります。

様々な事例において、流行が長続きしないのと同様、R&Bブームも長くは続かない。その要因として、R&Bブームに平行して登場した椎名林檎の台頭、及び、2000年に鬼束ちひろを始めとした新感覚派のアーティストの登場や2001年に元ちとせが登場し、今現在も続いている「癒し系や」「民族音楽性」ブームへと変わったことなどが上げられますが、それよりもブームそのものを作った売上げ1位の宇多田と2位の倉木が、ともに2001年に発表した2ndアルバムにおいて、前者が「洋楽王道路線」・後者が「AOR路線」とR&Bから離れた作風になったことがあると考えます。
2001年〜2002年にいたるこの流れを受けて、R&B人気は一気に失速していく。宇多田以外、チャートの上位を席巻することが難しくなっていくこの時から、ブームに便乗して登場した多くのR&Bアーティストが淘汰されることになるのだが、ここで生き残ったアーティストはシーンの主流にはならないものの、確固たる力量と思考とをもってシーンの一角を占め続けることになる。R&Bの細分化とマニアック化の流れが始まる。この例として「MINMI」「DOUBLE」といったアーティストを挙げることができるだろう。

今回の話はここまで。次回は、さらりと彼女らのことを述べて終わりします。







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